vol.5 街じゅうでアップサイクルが行われるベルリンでは、散歩そのものが宝探しに早変わり

棚
日本の小さな村がベルリンにもあった

ベルリン在住のイラストレーター・KiKiさんが、自身が育った西伊豆の日本の村とベルリンの暮らしの共通点をつづるコラム。毎月14日と28日に公開中。今回は、ベルリンの人々の間でやりとりされ、アップサイクルされる不用品にフォーカス。その習慣にKiKiさんが感じることとは?

KiKi

イラストレーター/コラムニスト

西伊豆の小さな美しい村出身。京都造形芸術大学キャラクターデザイン学科卒業後、同大学マンガ学科研究室にて副手として3年間勤務。その後フリーランスに。2016年夏よりベルリンに移住。例えば、…

2020.12.28
SOCIETY
学び

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ベルリンの街なかで宝探し

わたしには、ベルリンでの生活で楽しみにしていることがある。それは、道端に突如として現れる宝探しだ。

Vol.4の古着回収ボックスの回でも紹介したが、この街には「不要になったもの、必要な人に届ける」という文化が根付いている。古着は専用の回収ボックスに、それ以外は箱や袋に入れて、街なかのなんでもない道端に放置するのだ。

わたしも散歩中などで、箱や紙袋に詰められて放置されているものを見つけるたびに、ワクワクしながら中身を覗いている。気分はまるで、宝探しだ。

助け合いの精神から生まれた、不用品が循環する仕組み

絵本

道端で見つけた、古い絵本や子ども向け雑誌たち。DDR(東ドイツ)時代の貴重なものもあった

道端に置かれた不用品は、「ご自由にお持ち帰りください」を意味している。Vol.3で紹介したクラインガルテンの作物のように、「お持ち帰りください(Zu verschenken:ツー ファシェンケン)」というメモが添えられることもあるが、ないことが多い。

書き添えがなくても持ち帰っていいことは、街の人たちにとっては暗黙の了解で、通りがかりの「必要としている人」が拾い、修理が必要であれば修理して、使える状態に戻して家に迎え入れるのだ。

放置されているものは、読み終えた本や教科書、食器や鍋、雑貨……。大きなものだと棚や机、椅子などの家具、食器洗い機なんかも「まだ使えます」という張り紙とともに、そのまま放置されているのも見かけた。

例えば上図の棚は、見つけたときは棚のネジが1つなくて不安定だった。それを同居人が修理し、ホコリだらけだったのをわたしがきれいにし、いまはキッチンで使っている。

友人の家に遊びに行ったときには、座面が黒いガムテープでぐるぐる巻きにされた椅子を指差して「新しい椅子だよ!」と自慢げに紹介されたこともある。アンティークでとてもいい雰囲気の椅子なのだが、座る部分に穴が空いていたらしい。いい感じにアーティスティックになっていた。

このような習慣が生まれた背景のひとつは、ベルリンはもともと貧乏な都市だったということがある。もうひとつは、さまざまな人種・国籍・バックグラウンドを持った人々が暮らしていること。慣れない環境で暮らしていくなかで、自然と「助け合いの精神」が根付いているのだ。

オンラインでは気軽なやりとりで宝探し

facebookのキャプチャー

不用品のやりとりは、道端だけでなくオンライン上でも行われている。

例えば、Facebookにつくられた「Free Yorr Stuff Berlin」というグループでは、要らなくなったものの写真とともに「○日の○時までにピックアップしに来て!」や「○○通りに放置してあるから、ほしい人取りに来て」といった、自由で気軽で、気ままなコメントが投稿されている。

不用品以外にも、「ルームメイトのお気に入りのコップを割っちゃったんだけど、誰か同じの持ってない?」という相談もある。大量の廃棄に回されてしまうパンたちの写真をあげている書き込みには、「それはホームレスの人たちにあげて」という気遣いのコメントも見かけた。

実用的なものから本当に貴重なものまで

カップと皿

道端に放置されている各家庭の不用品は、必ずしも無傷で完璧なわけではない。壊れて汚れたまま置かれているものも少なくない。

しかし多少壊れていても、ベルリンに住むこちらの人たちは興味を引かれ、自分で修理したり、洗って磨いたり、他のものと組みわせてアレンジしたりすることで、活用し続けている。ある人にとっては不要なガラクタに思えても、他の人にとっては必要だったり、新しいアイデアの源だったりするのだ。

「宝探し」をうまく活用していくと、わざわざ買い物をしなくても生活が結構成り立ってしまう。実際に、わたしの身の回りのものの多くは「宝探し」で見つけたものばかりだ。例えば、絵本や雑誌もあれば、以下のような可愛いタッパーや電気ポット、保温機能バッチリのボトル、アンティークのお皿や星の形をしたキャンドルスタンドなどもある。

「見方」を変えれば ごみなんて存在しない

イラスト

ベルリンで「Zu verschenken (ツー ファシェンケン)」を見かけるたびに、ある思い出がよみがえる。

それは農家であり大工でもある祖父が、道端に落ちているものや不要品を拾ってきては、また使えるように修理したり、より使いやすくなるように改造している様子だ。そんな器用でアイデアマンな祖父の元には、ご近所さんから日々さまざまな修理依頼が届けられていた。

とくによく覚えているのは、祖父が壊れて放棄された自転車を4台くらい拾ってきて修理と改造をして、わたしとともに乗り比べをして遊んだことだ。

子どもの頃のわたしは、そんな祖父を真似したかった。都会から西伊豆の海辺に流れついたごみが珍しくて魅力的に写っていたのもあって、子どものころのわたしは毎日の楽しい工作の材料にしていた。

ときどき村にやってくる親戚のおばさんには「女の子がごみで遊ぶんじゃありません!」と怒られたこともあったが、サステナブルやエシカルが注目される今日では、誰かに不要と判断されてしまったものがお洒落な商品にアップサイクルされ、売られているのを見つける。

それらはもちろん、子どもの海辺での工作とはクオリティがまったく違う。しかし、一見すると「ごみ」と判断されてしまうものでも視点を変えれば「新しいものを生み出す貴重な材料」となる可能性を秘めており、「宝物」なのだと証明してくれている。わたしはそれをとても嬉しく感じる。

1/14公開予定の次回は、10月から実験的取り組んでいるコンポストの様子レポートしたい。

※掲載している情報は、2020年12月28日時点のものです。

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