ベルリン在住のイラストレーター・KiKiさんが、自身が育った日本の村とベルリンの暮らしの共通点をつづるコラム。毎月14日と28日に公開中。今回は、ベルリンと西伊豆の村の荷物お預かり文化について。この文化が生み出した、思わぬ効果とは?
KiKi
イラストレーター/コラムニスト
西伊豆の小さな美しい村出身。京都造形芸術大学キャラクターデザイン学科卒業後、同大学マンガ学科研究室にて副手として3年間勤務。その後フリーランスに。2016年夏よりベルリンに移住。例えば、…
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ベルリンに引っ越してきたばかりの頃、「こちらの宅配便は日本のように正確ではないから気をつけて」と多くの人にアドバイスをもらった。
どのように正確ではないかというと、配達予定時間に家できちんと待っていたとしても、なぜかその日に届かなかったり、不在扱いになってしまい荷物が集配所に逆戻りしてしまうことがあるのだ。
日本のように、再配達という便利な機能もない。戻ってしまった荷物は自分で引き取りに行かなくてはならない。
ベルリンに4年住んでいてもいまだに理解できない部分なのだが、配達員の気分だったり、予測できない何かが起こってそういう事態が起こるらしい。それでもこの街では、宅配便というサービスが受け入れられ、運営されている。それはなぜか。
ベルリンの配達員は、配達先の家が不在だったとき、予測できない何かが起こらない限り、そのアパートのほかの住民の呼び鈴をランダムに鳴らして「ちょっと○○さんいなかったから、預かっておいてもらえるかな?」と荷物を預ける。
不在だった家の郵便受けには、代わりに「○○さんに預けました」と書かれたしっかりとした紙質の不在票が投函される。わたしたちはそれを頼りにご近所さんを訪ね、荷物を無事受け取るのだ。
この話をほかの日本人の友達に話をすると、「なぜ再配達はないの?」「知らないご近所さんに預けられるほうが不安じゃない?」という質問が返ってくる。
しかしわたしはこの暗黙の配達ルールを知ったときに、また懐かしい気持ちでいっぱいになったのだ。
わたしの故郷、子どもの頃はきっと全住民50人くらいはいたと思われる西伊豆の小さな村でも、ご近所さんでの荷物の預かり合いは日常的に行われていた。
なぜかというと、荷物が集配所に戻ってしまうとひとつ山を越えた遠くまで受け取りに行かなくてはならないことがとても面倒で、小さな集落ではみんなが顔見知りだったからだ。
村では不在票などは存在せず、ただ配達員さんが「ちょっと○○さんいなから、預かっておいてもらえるかな?」と隣人を訪ねる。その隣人は、ゆるく受け取り主のご近所さんに届けたり、または会ったタイミングで声をかけて渡したりしていた。
わたしはそのご近所さんでの荷物のやりとりが大好きだった。他愛もないお話をしたり、わたしが子どもだったこともあって、荷物を届けに行くとお菓子をもらえることもあったからだ。
ベルリンは村ではなく都会だし、みんなが顔見知りというわけでもない。でも村と同じようにお互い様・助けあいの精神で荷物を預かり合う。この習慣は、じつはご近所さんコミュニティの形成の大切なきっかけにもなっているように感じている。
Photo by KiKi
わたしは家で仕事をしているので、平日は基本家にいる。
配達員さんはランダムに呼び鈴をならすのだが、ここは小さなアパートメント。彼らはだいたいどこの部屋の住人が日中家にいるのかを把握している。つまり、「荷物を預かってほしい」と頼まれる回数が多い。
わたしはそれを厄介だと感じたことはなく、いつもわくわくしながらドアを空けている。知らないご近所さんと世間話をしたりして、どんな人が住んでいるのかを知るきっかけになるからだ。
ある荷物を受け取ったことで一人の女性と仲良くなり、それをきっかけに同じアパートメントに住む人たちの「Whatsapp (海外版LINEのようなもの)」のグループトークに加わったこともある。そこで誰かが何かに困っていると伝えると、自然と助けあいが行われる。コロナで不安が続くなか、とても心強いつながりだ。
この記事は、ご近所さんの緊急な外出を助けるために、彼女の家で彼女のネコの世話をしながら書いている。彼女は代わりに、いつもドイツ語関係でわからないことなど、困ったことがあるとわたしを助けてくれている。
荷物を預かり合いには、それ以上の相乗効果が生まれるのだ。
激務な配達員さんの負担を減らすこともできるし、ご近所さんとの交流の大切なきっかけになったこの制度が、わたしはとても大好きだ。
11/28公開予定の次回は、ベルリンのおすそわけ文化について紹介したい。
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