国産トキが絶滅した理由と背景は 保護活動や現在の生息数についても解説

川と空

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日本においてトキの絶滅はいかにして起こったか。その経緯や背景について、トキの生態、絶滅を防ぐためにどのような保護活動が行われたかと併せて解説。人工繁殖によるトキの個体数復活、放鳥、そして現代における継続的な保護活動やその意義についても述べる。

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2025.01.16
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絶滅した日本の鳥「トキ」とは

桜並木

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「トキ」という鳥を知っている、ニュースで聞いたことがある方も多いだろう。かつて里山に身近な鳥として存在していた日本のトキは、絶滅の憂き目にあった。日本のトキはどのように絶滅していったのか、まずは、そもそも「トキ」とはどのような鳥であったのか、から見ていこう。

トキの生態と主な生息地

トキの分類はペリカン目トキ科で全長80cm・翼を広げた幅は130cmあまり、体重は1.5kg前後でオスのほうがやや重い。生息地は東アジアに広く分布し、かつては日本全土に多数生息していたという。(※1、※2)主な食べ物はドジョウ・カエル・タニシで、それらが生息する日本の田んぼにも縁が深い。そのため人里近くの里山に生息しており、一般的な日常風景の一部であったともいわれる。

幼鳥は灰色の羽をしているが、成鳥はオレンジがかったピンクの羽根を持ち、その色は「鴇色(ときいろ)」「鴇羽色(ときはいろ)」と呼ばれ古来より人々に浸透していた。その鴇色の羽根は伊勢神宮の神宝に用いられており、身近でありながらも美麗な存在とされたことがうかがえる。(※3)

生息数の推移

明治時代に入り鳥獣の乱獲が激化し、トキもその数を急激に減らした。明治25年に制定された狩猟規則ではトキは保護鳥獣に含まれておらず、明治41年にようやく規則改正により保護鳥として認められたものの、大正15年の「新潟県天産誌」では「其跡を絶てり」と記述されている。(※4)

いったん絶滅したと思われていたトキだが、昭和初期に新潟県および石川県での発見が相次いだ。そこで農林省による調査が行われ、巣と卵が確認されるも、生存個体数が極めて少ないため昭和9年に国の天然記念物に指定された。その後第二次世界大戦を経てトキの生息状況調査が再開され、昭和27年には国の特別天然記念物となる。昭和27年、佐渡島のトキ22羽が確認され絶滅寸前レベルの個体数であるとされたが、この後およそ10年の間に有効策は取られずさらに減少していった。

昭和42年にトキ保護センターが設立され保護・繁殖の機運が高まるも、捕獲個体の死亡や野生個体の更なる減少に歯止めがかからず、昭和55年に野生トキの全鳥捕獲が決定。翌年昭和56年1月にすべての野生トキ5羽が捕獲され、すでに飼育されていた1羽と合わせて日本のトキ6羽での人口繁殖が進められた。しかしそれも困難を極め、平成7年には国産トキは1羽のみとなりその望みは絶たれた。この時点で中国から借り受けたトキのペアからの増殖に望みが託され、平成15年に日本の野生生まれの最後のトキ「キン」が死亡したことにより国産トキは絶滅したのである。(※1、※5)

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国産トキが絶滅した理由と背景

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日本でのトキの絶滅には、歴史的背景や人間社会の行いが深く関わっている。それらの要因を具体的に解説する。

生息地の破壊

古来トキは里山に生息し、水田や湿地でドジョウなどの動物を捕食して生きてきた。(※6)しかし明治から昭和にかけて急激な都市開発が進み、山間部に近い水田や湿地が減少したことでトキの餌場および生息地は激減していった。生息可能地域を失ったトキは最終的に石川県能登半島・新潟県佐渡の一部地域に追いつめられ、最終的に絶滅の道をたどることになった。

化学農薬の影響

上述したように、トキの食性は主に水田に住む動物である。近代に始まった化学農薬の使用で餌となる生物は減少し、トキは餌場を失った。また大型で肉食という特徴から生体濃縮による化学毒性の影響を受けやすく、その点でもトキにとって生き残りにくい環境が発生したと考えられる。(※7)

過剰な狩猟と保護の遅れ

明治維新で一般市民の狩猟が解禁されたことにより、トキの羽根や肉を目的とする乱獲は激化した。またトキはその習性から食事の際に水田を荒らす害鳥でもあり、猟の標的としてはうってつけでもあった。そんななかで鳥獣類の狩猟規制が敷かれるもののトキの保護鳥認定は遅れ、その間にも個体数は減り続け、繁殖に十分な個体数が保てずその数を減らした。(※4)

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トキの絶滅を防ぐために行われた取り組み

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日本で行われたトキの保護活動と、それがどのような効果をもたらしたかを解説する。

捕獲保護と飼育繁殖の試み

昭和42年にトキ保護センターが設立されたことで、トキの保護活動は本格化する。このセンターの目的はすでに捕獲されている飼育トキの人工繁殖、および野生トキの繁殖を進めることであった。しかし飼育下にあったトキが相次いで死亡したことで人工繁殖計画は窮地に追い込まれ、野生のトキの卵を採取し人工飼育を行う計画も失敗した。(※4)

さらなる野生個体の減少を受け、昭和55年から56年にかけて環境庁は野生個体の自然増殖をあきらめ全トキの捕獲保護を行った。センターに飼育されるトキは6羽であったが生別比はオス1羽・メス5羽であり、唯一のオスを中心にペアリング・繁殖が繰り返される。しかしこれもうまくいかず、国産トキ間での繁殖は断念された。

生息環境の改善

昭和のトキ保護活動の初動として、営巣地周辺の入山禁止と生息地での給餌が行われた。全羽捕獲後も、トキ復活への期待や環境問題への関心は高まっていった。なかでも佐渡では、地域レベルでの生育環境改善の取り組みが行われた。その一例が水田の農薬削減・無農薬化の試みや、餌場となり得るビオトープの整備だ。(※8)国産トキの復活は失敗に終わるも、現在のトキの野生復帰に先んじて生育環境の保全がなされていたのである。

国際的な保護連携

中国においてもトキは絶滅したと考えられていたが、昭和56年に7羽のトキが発見され国家をかけて保護政策が展開された。目的を同じくする日本からの技術支援も受けて中国では日本より先に人工繁殖に成功し、個体群は劇的な回復を見せた。以降、トキ保護は日本と中国の交流のなかで進んでいく。

昭和から平成にかけて中国から個体を借り受け、あるいは日本個体を中国へ貸し出しての繁殖を試みるもののいずれも失敗。(日本トキと中国トキは遺伝学的解析においても同一種とされるため交雑にはあたらない)(※9)最終的に中国産個体のペアからの増殖に望みを託し、平成11年の成功を皮切りに繁殖の推進および野生復帰への道が開かれた。(※3)

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トキの復活に向けた取り組みの現状

現在もトキの繁殖支援が続けられ、佐渡島では放鳥されたトキも繁殖し、現在では約200羽の個体が確認されている。復活しつつあるトキを再び身近な存在へと導くために行われている具体的な活動を紹介する。

新潟県佐渡島での放鳥プロジェクト

飼育下で誕生・成長したトキは、いずれ佐渡島で放鳥されることになる。しかしただ放っても、野生下で生き延びられなければ意味がない。佐渡のトキ保護センターには野生復帰ステーションが併設され、放鳥後に野生に適応して生存できるよう順化訓練を行っている。(※10)野生下に近い環境でおよそ3か月、群れでの生活や飛翔・採餌能力などの順化訓練を行い、トキの状態を考慮したうえで放鳥が行われている。(※11)

野生復帰後の個体数の増加状況

2008年の放鳥開始から継続的なモニタリングが続けられており、生存状況や繁殖調査が行われている。現在では放鳥個体からの野生下での繁殖成功も確認され、2018年以降には野生生まれの個体数が放鳥個体数を上回った。2023年の推定値では放鳥個体・野生化繁殖個体合わせて500羽程度が生息するとされ、本州日本海側への飛来も確認されている。(※12)

生息環境保全の継続的な取り組み

トキの放鳥決定以降、生息環境保全の取り組みはこれまで以上に盛んになった。ビオトープの積極的な整備、水田の無農薬化などの環境整備は官民協力のもと進められている。また佐渡市では「朱鷺と暮らす郷づくり認証制度」を設立して、生物環境に配慮した水田での収穫米を「朱鷺と暮らす郷」認証米として販売し、ブランド化や活動の認知に繋げている。(※13)

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トキの絶滅から学ぶべき教訓

池を泳ぐ鯉

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人工繁殖により復活したトキではあるが、いったん日本国内で絶滅してしまったという事実は今後の教訓として記さねばならない。ひとつの種が絶滅するということはその他の生物にも大きな影響を及ぼすものであり、実際に国産トキの絶滅により共生関係にあったダニが国内絶滅をしたことも解明されている。(※14)

生物多様性の面からもこれは重大な事件であり、多くの生物と人間がともに生きる社会の実現が強く求められる。また国産トキの絶滅においては保護の遅れも大きな要因であり、保護活動および絶滅危惧種への早期介入の重要性が教訓として残された。これらを通じて、人間社会の変動についても生物多様性を考慮した研究・開発が要求されるだろう。

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トキと共生する未来へ向けて

町屋を歩く芸者

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トキの数が増え続けているなか、今後においての課題もある。トキや特定種の生物を繁殖し、野生復帰を促すことは長期的に資金や行政サポートを必要とするプロジェクトにあたり、放鳥地域に与える影響も決して小さくはない。(※15)そのために地域住民をはじめとする多くの人々の理解を得ることが必要である。

さらに今後も継続的な保護を行っていくためには、トキの生息地の拡大、気候変動の影響などを考えねばならない。日本のごく一部に限った話ではなく、トキの個体数が増え飛来地も広がるなか、全国的にサステナブルな生息環境の整備、保全が行われることが望ましい。

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トキの絶滅から学ぶべきこと

東京の街並み

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日本においてトキは絶滅したのち、外国の協力を受けて復活を遂げることができた。保護に尽力した人々の無念もあるだろうが、この歴史と経緯からは教訓として学ぶべきことがたくさんある。ご存知のとおり、いまも絶滅に瀕している生物は多い。現在は身近な生き物もやがて姿を消すかもしれない。生物多様性を維持するためにはトキの教訓を受けて、その保護や個体数回復に繋げることが必要だ。そのために私達も、当事者として生物保護に協力することが望まれる。

※掲載している情報は、2025年1月16日時点のものです。

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