アシックスが絶好調だ。21~23年の3年間の中期経営計画では収益性を高めることに注力し、将来の持続的成長のために安定した財務基盤を確立。23年8月には初めて時価総額1兆円を突破し、24年7月には24年12月期の業績予想を上方修正して好感され、一時2兆円を超えた。こうした業績面だけではなく、企業理念の中核を成しているサステナビリティに重点を置いた経営も目を引く。サステナビリティ、デジタル、IRといった分野で複数の著名な賞を受賞するなど、健康的なビジネスで知られ、こうした理念を反映した革新的な製品を続々と発売している。
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エレミニスト編集部
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「アシックス」は創業以来「Anima Sana In Corpore Sano(ラテン語で『健全な身体に健全な精神があれかしと祈る』の意味)」を理念に、人々の心身の健康に重点を置いた経営を行ってきた。サステナビリティ経営の先進的企業として知られるが、環境保全の取り組みを加速することになったきっかけは2015年、「パリ協定」が採択されたことだった。
それ以降、「スポーツができる環境を守る」という考えのもと、30年までに温室効果ガス(GHG)排出量を63%削減(15年比)し、50年までにGHG排出量実質ゼロを目標に掲げ、18年度にはスポーツメーカーで初めて国際的イニシアチブ「Science Based Targets(SBT)イニシアチブ」の承認を受けた。
その姿勢は製品にも表れている。22年に開発、23年に製品ライフサイクルでのCO2排出量が1.95kgCO₂e(※)という低炭素シューズ『GEL-LYTE Ⅲ CM1.95』を、24年にはリサイクル可能な『NIMBUS MIRAI』を発売した。
アシックスの前身「鬼塚商会(後のオニツカ株式会社)」が神戸市に創業したのは1949年のこと。「青少年が希望を持てないような環境にあった戦後、創業者の鬼塚喜八郎はスポーツを通じて人々の心身の健康の向上と子どもたちの健全な成長を願って起業しました。『オニツカタイガー』を立ち上げ、技術力とコンフォートを追求した革新的な競技用シューズを提案してきました。77年に社名がアシックスに変わった後も、さまざまな製品やサービスを通じて人々の健康を支えてきました。そして、昨今の気候変動の影響でスポーツをする環境が脅かされていることから、地球環境も健やかであるべきと考えてサステナビリティ戦略のなかでもとくに気候変動への取り組みに注力しています。その中で生まれたのが低炭素の『GEL-LYTE Ⅲ CM1.95』。そして、環境負荷を究極まで低減するだけではなく、循環型モデルへとシフトすることで新しい資源の消費を減らすことを目指し生まれたのが『NIMBUS MIRAI』です」と井上聖子サステナビリティ部長は語る。
現在、アシックスはサステナビリティ戦略に2つの大きな柱、People(人と社会への貢献)とPlanet(環境への配慮)を据え、CO2排出量削減、責任ある調達、人権の尊重、透明性の向上などに向けて具体的なアクションと倫理的なパートナーシップの構築に取り組む。
※2022年8月にISO14067規格に準拠してアシックスが実施し、SGS (Société Générale de Surveillance))Japan によって検証された計算に基づいている。
2023年9月に発売された『GEL-LYTE Ⅲ CM1.95』
『GEL-LYTE Ⅲ CM1.95』は他社のシューズと比べてライフサイクルにおける二酸化炭素排出量が格段に少ない。『NIMBUS MIRAI』は日本だけでなく、米国、カナダ、英国、オランダ、フランス、オーストラリア、ニュージーランドで同時発売し、回収を含めた再生可能なシューズとしては他には類を見ない規模で販売する。しかも、品質と機能性を妥協しない難易度の高い設計を、世界でもっとも売れているランニングシューズであり、「アシックス」を代表する高機能シリーズ『NIMBUS』で実現した。補足すると、ランニングシューズをはじめとするパフォーマンスシューズはパフォーマンスの低下やケガの誘発を避けるために修理を行わないという。こうしたこれまで“使い捨てる”しかなかったシューズをリサイクル可能にした点もポイントだ。
革新的な製品はなぜ、どのようにして生まれるのか。
開発に携わったアシックス スポーツ工学研究所の大崎隆氏は理由をこう分析する。「技術開発の研究の積み重ねにあります。たとえば、『GEL-LYTE Ⅲ CM1.95』の考え方のベースには、2012年に発表した製品のライフサイクルにおける環境負荷を理解するため実施したマサチューセッツ工科大学(MIT)とランニングシューズのLCAに関する共同研究があります。『NIMBUS MIRAI』のカギになった分離可能な接着技術は06年に当社で開発し、当時は実用化には至らなかった接着剤の存在がありました」。
アシックスに研究部門ができたのは1985年、研究機関として拠点「アシックススポーツ工学研究所」を持ったのは90年だが、85年以前にもフットウエアとアパレルそれぞれに研究部隊がいたという。
「そしてもう一つ。社内でアイデアが生まれると、そのプロジェクト化が早いことも挙げられます。どのような人材が必要かの検討も含め迅速に進めることができる社風があり、そして何よりそれを実行できるサプライヤーとの良好な関係があります」と分析する。
『GEL-LYTE Ⅲ CM1.95』の実現には、パーツの削減やバイオベースの靴底の素材開発に加えてサプライヤーとの連携と再エネの導入が重要な要素だった。「これまで以上にサプライヤーと密なコミュニケーションを行いました。再エネ導入率の確認と、電気使用量やその他燃料の種類・消費量データ(天然ガス,石炭,バイオ燃料(植物殻)等)など必要なデータを提出してもらう必要がありました」。
サプライヤーへの働きかけは、2022年のグリーン調達方針を正式に出す前から行っていた。アシックスのグリーン調達方針を共有して、CO2削減目標や再エネの調達計画、継続的な省エネの実現、データの把握など各工場と話し込んできた。「各社状況が異なり、SBTにコミットしている先進的な工場があれば、どのようにCO2削減目標を立てればいいかわからないところまでさまざまでした。当初は戸惑いがあったサプライヤーもいましたが、お互いがしんどくならない方法を探り、各社の状況にあわせた方法を検討しました。例えばCO2削減に向けた具体的なプログラムの参加費を出し合ったり、SBTが期待する削減率の説明を行ったりしてきました」と井上部長は振り返る。
『GEL-LYTE Ⅲ CM1.95』の背景には、開発力に加えて、アシックスがサプライヤーに対して現場レベルでのサポートを行ってきた経緯がある。
容易に分別しリサイクルできるようにしたランニングシューズ『NIMBUS MIRAI(ニンバスミライ)』
社内の変化もあった。フットウエア生産統括部マテリアル部の上福元史隆 部長は「カーボンフットプリントの可視化を進めることで、社内に生産コストと同じような感覚にカーボンフットプリントがあるという意識が広がりました。例えば、素材を替えることでどの程度カーボンフットプリントが下がるかなどの問い合わせがあります」と話す。上福元部長は『NIMBUS MIRAI』開発の中心メンバーの一人だ。
「社風として『鬼塚喜八郎氏』のDNAが根付いており、社員に『新しいことをやろう』『頂上を目指そう』というマインドがあります。実は『NIMBUS MIRAI』の開発に関わったチームメンバーはサステナ素人が多く、何がサステナブルかわからないところからスタートして事実を分析した結果、『シューズは廃棄物になるという固定概念を覆すこと』と『捨てるペイン(痛み)をゲイン(得ること)にする』ことを目指しました。しんどいこともありましたが、楽しみながら取り組むことができました」と振り返る。
井上部長は「第一に製品の品質や機能性を妥協しない姿勢があります。そして、温室効果ガス削減や循環型モデルを突き詰めた結果が新しい取り組みにつながりました」と分析する。
自社のみならずバリューチェーン全体でサステナビリティを進めている(サステナビリティレポート2023年より抜粋)
アシックスは23年、「中長期経営計画2026」を発表した。富永満之代表取締役社長COOは「アシックスグループが一体となり、明確な戦略の下でサステナビリティをさらに加速させる」とコメントを発表した。具体的には「グローバルでデジタルを活用したサプライチェーン変革の遂行とデータプラットフォームの構築により、サプライチェーンでの透明性とトレーサビリティの向上、脱炭素化、人権デュー・ディリジェンスの推進に取り組む」という。
具体的にサービスや製品にはどのように反映されるのか。今後の展望について井上部長は「製品としてはこれまでのプロジェクトを結び付けたような新しい製品の開発を進めます。『GEL-LYTE Ⅲ CM1.95』の開発を通じてサプライヤーの再エネ調達のスピードアップができたので、それをサプライチェーン全体に広げていきたい。すでにいくつかの製品でカーボンフットプリントの表示は始めていますが、表示する製品をさらに拡大します。こうした情報をお客さまの身近にわかりやすい形で提供し、楽しみながら循環の輪に参加できるような仕組みをつくりたい。また、ランニングやトレーニングの情報など、製品以外の情報提供などによる価値創出と環境負荷低減を実現するサービスなどの検討も行っています」と話す。
上福元部長は「サステナビリティを追求した先進的な取り組みはイノベーションにつながります。これまでのプロジェクトで新たな芽が出ているので、製品を分析して他の製品にどのように応用できるかを検討しているところです」という。大崎氏は「さまざまなデータが蓄積してきたので、次の段階はその比較・検討を行い、さらなる環境負荷低減を目指すこと。また、環境負荷の可視化ができる製品を増やしていく。研究所としては、すぐに役に立つ研究はもちろん、今回のように(研究開発時ではなく)必要とされる時期にすぐに提案できるような研究をたくさん行いたい。そのために5年後、10年後“当たり前”になっているようなことは何かを想像しながら日々アンテナを張っています」と語った。
気候変動関連死が危ぶまれる時代となった昨今、日本が気候変動対策に後れを取っていると指摘されることは少なくない。このような状況において、アシックスは創業当初から人々の心身の健康に重点を置き、実直に研究開発を行ってきた。その結果、他に類を見ない環境性能を備えた製品を生み出す先見性のある企業風土がある。大量廃棄をはじめとする環境への負荷が問題視されている靴産業に一石を投じたアシックスの動向を引き続き注視したい。
今回お話しを伺った方
井上聖子氏/サステナビリティ部部長アシックスとマサチューセッツ工科大学の共同研究プロジェクトの一員として、シューズ1足のライフサイクルでのCO2排出量を業界内で先駆けて算出。現在は、全社戦略、サプライチェーンなどサステナビリティに関する幅広い分野を推進。
上福元 史隆氏/フットウエア生産統括部マテリアル部部長十数年ランニングシューズ開発を担当。2017年以降シューズ素材開発に従事し、東京2020大会では一般の方々から回収したアパレルをオリンピック・パラリンピック日本代表選手団のシューズ原料に転換させるプロジェクトに参画。現在も引き続きサステナブルかつ新規性のある素材開発をリード。
大崎 隆氏/アシックススポーツ工学研究所フューチャークリエーション部グリーンマニュファクチャリング研究チームスポーツ工学研究所にてシューズ製品の材料開発業務に従事。2018年からサステナブル素材を応用した材料開発、LCA関連の業務に関わり、2023年に販売した『GEL LYTE III CM1.95』の開発プロジェクトに参画。現在はサステナビリティ部、マテリアル部と連動してシューズ製品問わずサステナブル関連技術の基礎研究から他社連携業務に従事。
画像提供/アシックス 執筆/廣田悠子 編集/後藤未央(ELEMINIST編集部)
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