戦火のサラエボで「音楽」という強さを手にU2と奏でたONE 映画『キス・ザ・フューチャー』

Photo by © 2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

Movie Column いまいちばん観たい映画

1990年代前半、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立をめぐって勃発した紛争は分断を生んだ。日々攻撃を受けるようになったセルビアの人々は毎晩地下のディスコでパンクロックに熱狂していた。現地入りした米・援助活動家のビルがU2招致を画策する。ボスニア紛争終結後、U2の「伝説のライブ」が実現するまでの軌跡が明らかに………!

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2025.11.11

サラエボに滞在した一人の米・援助活動家が起こした軌跡

キス・ザ・フューチャー

Photo by © 2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボは二度の紛争に巻き込まれてきた。第一次世界大戦の導火線となった「サラエボ事件」(1914年)と、ユーゴスラビア連邦の解体に伴うボスニア・ヘルツェゴビナの独立をめぐって勃発した「サラエボ包囲」(1992年〜1996年)だ。

本作は後者の時期にあたり、セルビア人勢力によって包囲され、日常的に攻撃を受けていたサラエボに、一人の米・援助活動家 ビル・カーターが支援のため現地に入る。

驚くことに、サラエボの若者たちは、あちこちから発砲で狙われ、生きるか死ぬかの日常の中、小さな地下室でパンクロックライブを繰り広げ発狂していた。その風景は異常にも見えるが、人も熱狂も充満した空間が紛争を忘れさせた。音楽を糧に非暴力で抵抗を貫き、日々を生きようとする姿が胸を打つ。

一方、ビルに対する周囲の反応は冷ややかだった。「何のために居るの? 助けてくれるの?」と容赦ない。戦火という異空間にわざわざ乗り込んできて、アドレナリン中毒化した人々を多く見てきたからこそだろう。

ビルは自分自身の存在意義を見出そうと思考を巡らせていた。サラエボの人たちがロックを愛していること、U2が反戦や人権に対し積極的に発信する世界的にアイコニックなバンドであることから、U2をサラエボに招くことを思いつく。周囲は呆れ顔だが、本人は真剣だ。

本作は、そんなビルの突拍子もないアイディアから、ボスニア紛争終結後のサラエボでU2ライブを実現させるまでの軌跡を、関係者のインタビューとともに紐解いていく。また、この伝説のU2のライブ映像は、これまで世界で公開されたことはなく、本作によって初めて公開された。

当時を振り返る関係者の語りに、当時の映像が織り込まれ、まるで高揚感を一緒に経験している気にさえなる。

社会の分極化にアートが役割を果たせるという信念

キス・ザ・フューチャー

Photo by ©Bill Carter

伝説のライブから20年が経った2017年、ネナド・チチン=サイン監督はあの日のことを思い出していた。ライブが開催された1997年当時、ネナド監督は、サンフランシスコで広告代理店のクリエイティブ・エグゼクティブとして働いていたため、実際に観てはいなかったが、その意義を十分理解していた。

現在米国に住むネナド監督は、本作をつくりたいと思った理由について、「アメリカでは社会が極端に分極化され始めたから」だと話す。「人々は非常に分断されています。危険な方向に行く可能性があると思います。私はバルカン半島で起こったことを単なる警告の物語として示すだけでなく、音楽とアートが困難な時代に人々を鼓舞し、希望を与えることができることを示したかったのです」。

ネナド監督は、旧ユーゴスラビアのスロベニアで、クロアチア人の父親とセルビア人の母親の間に生まれ、クロアチアで育った。1980年、10歳の時に家族で米国に移住。妻はアルベニア人で、生まれてから、「一つの家族の中で多元的な共存が繰り広げられている」という背景を持つ。「家庭ではすべての人は平等であり、対等であると育てられた」。

戦争が始まったのは21歳の時で、父親は仕事などの関係でクロアチアに帰国すると、ネナド監督もしばらくともに現地で過ごした。さまざまな属性がある人たちが家族として共存しながら生きていた監督だからこそ、「そのことをこの時代に改めて表現したいと思いました」。「旧ユーゴスラビアで人々はなぜ分断され、どのように再び共存できるようになったのかというストーリーをいまでも伝えなければならないと感じています」。

広告代理店で働く一方、ネナド監督は「60年〜70年代のイタリアの巨匠と称されるフェデリコ・フェリー二のような映画が大好きで、自分なりに伝えたいことがあるのではないか」という思いに至り、2012年には短編、2018年には初となる長編映画制作を手がけてきた。

その頃から、「ユーモアや人間らしい描写を通じてヒューマンドラマを描きたい」という根幹は昔から変わっていない。現に本作は戦争そのものではなく、どう生き延びたかを描いている。

非暴力は非現実的か。サラエボの人々がとった行動とボノがONEに込めた思い

キス・ザ・フューチャー

Photo by ©Vesna Andree Zaimovic

「ヨーロッパ最後の戦争終結を描いた映画を制作するつもりだった」と語るネナド監督。しかし、いざ撮影を開始しようという時に、ロシアとウクライナ戦争が始まってしまった。

「本作がベルリン国際映画祭(2023年)で公開された際、多くのメディアや映画評論家が、ロシアとウクライナの間で起こっていることと、ボスニアで起きたこととの関連性について言及しました」。同映画祭での上映後、スタディングオベーションは少なくとも10分間続き、観客から賞賛を得た。

約半年後のローマ映画祭では、ガザとイスラエル間の衝突が起きていた。「再び、人々は映画とガザとイスラエルで起こっていることに関連づけた」。

実は、ボスニアの国連大使だったムハメド・サツィツベイ氏がセルビア人をコンサートに招待し、多様な背景を持ちながらライブ会場に集まった。「これが映画の重要なポイントだ」とネナド監督。「こうしたことが実際に起こったことで、歴史における重要な出来事だった理由です」。

ちなみに、U2が披露した“ONE”(1991年)についてボノはRolling Stone Japanに対し、こう語っている。

「一体化を呼びかける曲だが、“みんなで一緒に生きて行こう”という昔ながらのヒッピー的な考えではない。むしろ逆で、“僕らは一つだが、同じではない”と歌っている。我々がこの世界で生き残るためには、互いに調和を保って生きなければならないのさ」(※1)。

(元ロッキング・オン編集長の宮嵜広司氏は、U discovermusic.jp(※2)の連載で、ボノのインタビューを「『そして支え合うようになる』と歌ってる。そこに選択の余地はないと念を押してるんだ。しかし、コーラス部分の『we get to carry each other(支え合う機会に恵まれる)』を『we’ve got to carry each other(支え合うべき)』だと勘違いする人がいるのにはガッカリするよ。だって、歌詞は『観念する』と言ってるんだもの。『さあ、みんなで一緒に壁を飛び越えよう』というのではないんだ」(ボノ)」と振り返っている)

しかし、いま世界では軍事費の増大が進んでいる。
日本は2026年度概算要求として約43.5兆円(契約ベース)を計上。「防衛力整備計画」のもと、スタンド・オフや総合防空ミサイル、無人アセットなどの防衛能力などを重要分野に係る費用だとしている(※3)

ネナド監督は、「政治家は『安全な暮らしをしたい』という市民の普遍的な願望を利用して、軍事化を進める。国費を教育や医療に充てるべきだということは多々ある」と見解を述べた。

サラエボにとって、武器ではなく、U2の音楽が分断を修復し癒すために不可欠だったように、私たちに本当に必要なもの、そして不要なものは何か。その答えが詰まった劇場で観るべき一作だ。

キス・ザ・フューチャー

『キス・ザ・フューチャー』103分/アメリカ・アイルランド/2023年/ドキュメンタリー

1990年代前半、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立をめぐって勃発した紛争で、日々攻撃を受けるようになったサラエボの人々は毎晩地下のディスコでパンクロックに熱狂していた。現地入りしていた米・援助活動家のビルはU2招致を画策する。U2の伝説のライブが実現するまでの軌跡が明かされる…!

プロデューサー:マット・デイモン、ベン・アフレック
監督:ネナド・チチン=サイン
登場⼈物:クリスティアン・アマンプール、ボノ、アダム・クレイトン、ジ・エッジ他
制作:Fifth Season
配給:ユナイテッドピープル

全国順次公開中
https://unitedpeople.jp/kiss/
2025年11月1日以降、劇場のない都道府県でのみ自主上映も。
https://www.cinemo.info/142j

執筆/稲垣美穂子 編集/後藤未央(ELEMINIST編集部)

※掲載している情報は、2025年11月11日時点のものです。

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