世界と人々の意識に変化をもたらしたロシア革命とは

モスクワの景色

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ロシア革命は1917年に起こった三月革命と十一月革命を経て、世界で初めての社会主義国家が形成された世界史において重要な出来事だ。現在の世界にも大きな影響を与えており、ロシアの成立や社会主義への理解はいまを生きる我々にとっても必要なこと。ここでは、ロシア革命について詳しく紹介する。

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2024.12.07

ロシア革命とは

雪の町

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ロシア革命とは、20世紀初頭にロシアで発生した大規模な社会変革だ。1917年の「三月革命(ロシア暦二月革命)」と「十一月革命(ロシア暦十月革命)」によって長く続いた帝政が終焉し、初の社会主義国家が樹立されたのである。この革命は、帝政の腐敗と社会的な不満が爆発し、新たな国家体制を求める多くの人々によって推進された。十一月革命で樹立された新政権はマルクス主義に基づく社会主義社会を目指し、ロシアは新しい社会体制へと移行することになる。(※1)

ロシア革命が起きた社会的背景

海沿いの街

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ロシア革命が発生した背景には、これまで抱えていた社会経済問題や政治的混乱がある。ここでは、帝政ロシアが抱えていた問題と、革命を引き起こした要因について説明する。

帝政ロシアの社会・経済問題

20世紀初頭のロシアは、広大な領土と多民族国家という特性を持ちながらも、政治的には独裁的な帝政が続いていた。皇帝ニコライ2世の統治下では貴族階級が権力を握り、一般市民や農民の生活は困窮していた。また経済面では資本主義が発展していたが、その一方で地主が支配する農村地域では封建的な制度が残っており、貧富の格差が拡大していた。民衆の間には帝政への不満が高まり、変革を求めるさまざまな運動が各地で勃発した。(※1)

第一次世界大戦の影響

第一次世界大戦が1914年に勃発すると、ロシアも同盟国側として参戦した。しかし戦局は思わしくなく、多大な戦費と人的被害が国力を消耗させ、民衆生活の困難をさらに悪化させた。物資不足や物価の上昇、戦場での敗北が続くなか、兵士の士気も低下し、兵役に対する不満が広がった。こうした戦争の影響が革命の引き金となり、帝政ロシアの体制は徐々に限界を迎えることとなった。(※2)

社会主義思想の普及

この時期、ロシアでは社会主義や共産主義といった思想が広がり、マルクス主義に基づく労働者解放を目指す運動が勢力を拡大し、民衆の間で共感を得るようになった。さらにレーニン率いるボリシェヴィキ派など、革命を主導する勢力が活動を活発化させ、帝政打倒と新しい社会体制の樹立を掲げる思想が広がっていく。(※2)社会主義思想が革命の共通理念としてロシア国内に浸透したことで、人々を変革へと突き動かしていった。

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ロシア革命の進行過程

夕焼け

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ロシア革命は、二度の革命によって進行した。ここでは三月革命と十一月革命、さらにその後の内戦とソビエト連邦の成立までの経過について解説する。

三月革命(ロシア暦二月革命)

1917年の三月革命は、ペトログラードでの労働者や兵士の行動から始まった。食糧や燃料の不足が深刻化するなか、2月23日(新暦3月8日)に婦人労働者がパンを求めてストライキを起こし、男性労働者もこれに合流した。デモは市内全域に広がり、全市ゼネストとなった。コサック兵の反乱や兵士による命令不服従が発生し、労働者と兵士が結束して政治犯を解放するなど、運動は急速に拡大した。

一方、国会では臨時委員会が設立され、ロシア歴3月1日には兵士がソビエトへの忠誠を決定し、二重権力の状態が形成された。3月2日には臨時政府が発足し、ロマノフ朝のニコライ2世が退位することで帝政は終焉を迎えた。(※1)この後、農民革命や民族革命が広がり、自由な空間が生まれた一方で、戦争継続をめぐる政府と民衆の対立が深まり、後の十一月革命につながる。

十一月革命(ロシア暦十月革命)

十一月革命は、1917年11月7日(ロシア歴10月25日)にロシアで起きた労働者、農民、兵士を中心とする革命である。三月革命後の臨時政府が掲げた「自由」や「平和」を実現できず、不満が広がったことが背景にある。労働者は工場委員会を通じた生産統制を求め、農民は地主排除と土地の社会化を進めたが、政府の対応は遅れた。また、ウクライナの自治宣言など民族問題も深刻化した。こうしたなかで、ボリシェヴィキが支持を拡大し、ロシア歴10月24日から25日の蜂起で臨時政府を崩壊させた。新政府は「平和」と「土地」を掲げたが、農村や民族自治をめぐる矛盾が残り、社会秩序の構築には課題が残された。(※1)

十一月革命後の内戦とソビエト連邦の成立

1917年の十一月革命で成立したソビエト政権は、旧ロシア帝国領内における社会主義体制の確立を目指したが、1918年から内戦と外国の干渉による戦争に直面した。ソビエト政権は赤軍を創設し、「戦時共産主義」により農村から穀物を徴発する一方、諸民族地域での支配を固めた。これらの過程で貧農を支持基盤としつつ、中農層との同盟も進められた。内戦が終結すると、1922年にロシア、ウクライナ、ベロルシア、ザカフカス諸共和国が結合し、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)が結成された。

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ロシア革命の主要人物

エルミタール美術館

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ロシア革命には多くの人物が関わり、それぞれの役割を果たした。ここでは、革命を牽引した代表的な人物について紹介する。

レーニン

レーニンはロシア革命の理論的指導者であり、ボリシェヴィキを率いて革命を成功に導いた人物である。彼はマルクス主義に基づき、資本主義の打倒と社会主義国家の建設を目指した。レーニンの指導のもと、ロシアは初の社会主義国家となったのである。(※2)

ニコライ2世

ニコライ2世はロシア帝国最後の皇帝であり、三月革命で退位を余儀なくされた人物である。彼の時代にロシアは第一次世界大戦に参戦したが、その結果国家が疲弊し、民衆の不満が爆発する原因となった。彼の退位によって帝政は終焉を迎えた。(※2)

トロツキー

トロツキーはレーニンに次ぐボリシェヴィキの指導者であり、十一月革命後には赤軍を指揮して内戦を勝利に導いた人物である。彼は革命後のソ連における軍事組織の確立に尽力した。(※1)

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革命後のロシア

サンドイッチ

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ここからは、革命後に起こったロシアの変化について見ていこう。

社会主義体制の確立

ロシア革命後に成立したボリシェヴィキ政権は、マルクス主義に基づく社会主義体制を確立した。資本主義が廃され、土地や工場など主要な生産手段は国家が管理する体制へと移行した。この新たな経済体制の導入により、国民の平等を目指し、貧富の格差が縮小されることが期待された。しかし実際には貧富の差は依然として生まれ、さらにこうした社会主義体制は資本主義に対する明確な対抗軸となったことで、国内外の思想的対立を引き起こす原因となった。(※4)

スターリン体制への移行

レーニンの死後にスターリンが指導者として台頭したことで、ソ連はスターリン体制へと移行する。スターリンは粛清をともなう大規模な国内統制を行い、反対勢力を徹底的に排除して強固な独裁体制を築いた。政府に反発する声は封じられ、スターリンの政策が全土に強力に実行された。結果として産業の急速な発展が実現したものの、民間への圧力は増大し、自由や民主主義の抑制が進行した。(※3)

国内統制の強化

スターリン体制下で行われた国内統制の強化は、情報の管理や秘密警察の増強といった形で徹底された。国民は国家への従順を強いられることとなり、反対意見や異なる思想は容赦なく排除された。社会主義体制を維持するための手段として必要だったものの、恐怖によって統治する厳しい社会体制を生み出した。(※3)

国際的影響力の拡大

ソビエト連邦の成立は、国際社会にも多大な影響を与えた。共産主義を広めるために設立されたコミンテルン(共産主義インターナショナル)は、各国の共産主義運動を支援し、共産主義革命の波及を目指した。(※5)ソビエト連邦はアジアやヨーロッパの被圧迫民族への支援を強化し、民族解放運動を助進めることで、資本主義陣営と対抗する新たな世界勢力としての地位を確立していった。

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ロシア革命の影響と意義

地球柄のボール

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ロシア革命は、国内のみならず世界やいまを生きる私たちにも大きな影響を与えている。ここでは、とくに注目すべき出来事を紹介していく。

社会主義国家の誕生と世界への影響

ロシア革命の結果として誕生した世界初の社会主義国家は、各国に衝撃を与え、共産主義運動の拡大を引き起こした。とくに労働者階級の立場向上を掲げた革命の成功は、西側諸国にとって強い危機感を抱かせ、冷戦構造の基盤を形成するきっかけとなった。ソビエト連邦が台頭したことで、資本主義と社会主義の二極対立が深まり、世界各地で社会主義に基づく改革が進展するなど、思想的な影響も広がりを見せた。(※4)

労働者階級の地位向上と社会改革

ロシア革命は労働者や農民の地位向上を実現し、社会改革が進んだひとつの転機であった。これにより教育や医療、福祉などの公的サービスの充実が図られ、国民全体の生活水準が向上した。またこうした社会改革の動きは他国にも影響を与え、労働者運動や労働条件改善の要求が高まるきっかけとなった。(※3)

現代社会への影響

ロシア革命が広めた社会主義思想は、冷戦を通じて現代社会にも影響を及ぼしている。冷戦後も社会主義の理念や平等の考え方は、政治や経済思想において一定の影響力を持ち続けている。現代においても、福祉国家の理念や格差解消への取り組みなど、ロシア革命が残した思想は各国の政策に少なからず影響を与えているといえる。

日本への影響

ロシア革命は日本にも強い影響を与えた。日本で起こった大正デモクラシーの動きや労働運動の活発化に影響を与え、日本でも社会主義思想が広がった。また日本共産党の結成を通じて、労働条件の改善を求める動きが本格化した。ロシア革命によってもたらされた変革は日本の政治や社会に浸透し、現在に至るまで影響を及ぼしている。

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ロシア革命の今後の研究と意義

図書館

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ロシア革命は社会主義と資本主義の対立構造を浮き彫りにし、現代の社会や政治にも大きな影響を及ぼしている。このためロシア革命の研究は、現代社会における資本主義のあり方や社会主義の理念の再考につながる意義を持つとされている。また社会主義の理念である「平等」な社会は社会主義国家においても実現が難しく、依然として格差が生まれている。(※4)こうした課題の解決に向けて、考え方の枠組みを超えた取り組みが必要となっている。

いまある世界の構造をつくったロシア革命

世界地図

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ロシア革命は、20世紀の世界史における重大な転換点であった。社会主義国家の誕生と労働者階級の地位向上を実現したことで、国内外にわたる広範な影響を及ぼした。またその思想や理念は冷戦を経て現代にまで受け継がれ、現在の政治や経済にも色濃く残っている。大きな歴史のなかでロシア革命を捉えることで、現在に至る社会変革やその影響がわかってくる。いまだ世界が抱える問題を解決するためにも、国家の成り立ちや思想による対立は理解しておく必要があるだろう。

※掲載している情報は、2024年12月7日時点のものです。

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