「ジェノサイド」とは 過去の事例と世界が直面する問題

水平線に沈む太陽

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ナチスドイツ軍によるユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」を後世に残すため、1944年に生まれたのが「ジェノサイド(genocide)」という言葉だ。この記事では、言葉が生まれた経緯や過去の歴史、現在直面している問題、ロシア軍によるウクライナ侵攻との関連について紹介する。

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2022.03.31

ジェノサイド(genocide)とは

ジェノサイドとは、1944年に初めて生まれた言葉である。法学者であったラファエル・レムキン氏が自身の著書のなかで初めて使った。その意味は「特定のグループ全体、もしくはその一部を破壊する目的で行われる集団殺害、およびそれに準ずる行為」のことである。以下の5つの行為が例に挙げられる。

・集団構成員を殺すこと
・集団構成員に対して肉体的または精神的な危害を加えること
・全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に命じること
・集団内における出生の防止を意図する措置を課すこと
・集団の児童を他の集団に強制的に移すこと

1944年にジェノサイドという言葉が生まれたのは、第二次世界大戦中に大量虐殺が行われたのがきっかけである。ポーランド系のユダヤ人であるレムキン氏は、ナチスドイツによって行われた大量虐殺を後世に残すため、ジェノサイドという新たな言葉をつくったのだ。(※1)

ジェノサイドという言葉の意味

ジェノサイドの英語表記は「genocide」。ギリシャ語の「geno(人種や部族)」と、ラテン語の「cide(殺人)」を組み合わせてつくられた。

ジェノサイドを日本語に訳す際、単純に「大量殺害」と表記されがちである。しかし実際には、「特定の集団そのものの絶滅を目的にした大量殺害、迫害」がジェノサイドなのだ。その意味を正しく把握しておこう。

ホロコーストとジェノサイドの違い

ホロコーストとは、第二次世界大戦下で行われたナチスドイツおよび、その協力者によるユダヤ人大量虐殺を指すホロコーストの犠牲になったユダヤ人は、約600万人にのぼると言われている。(※2)

ジェノサイド条約と日本の状況

1948年、国連によって採択されたのが「ジェノサイド罪の防止と処罰に関する条約」である。通称ジェノサイド条約と呼ばれ、2019年1月時点の批准国は世界150か国にのぼる。ところが2022年現在、日本は批准国に含まれていない。(※3)

日本が未加盟である理由は、国内法にある。条約を締結すると、日本国内でもジェノサイドに対する罰則規定を設け、大量虐殺が起こらない体制つくりを求められるのだ。しかし、法律化するための準備さえ整っていないなかで、国内法を制定するのは簡単ではない。こうした事情により、日本はいまだ加盟に慎重な姿勢を示している。

人道に対する罪とジェノサイドの違い

「人道に対する罪」とは、具体的には国家や集団が一般市民に対して行う殺害行為や迫害行為を指す。ジェノサイドと非常によく似た意味で使われる言葉である。両者の違いは、ジェノサイドは「集団」が対象であるのに対して、人道に対する罪の対象は「個人」である点だ。

また殺害の目的についても、両者の見解はやや異なっている。ジェノサイドでは「特定の集団の破壊や絶滅」が目的とされるが、人道に対する罪においては、このような目的意識は認定されない。

ジェノサイドの事例 過去の歴史を知る

ジェノサイドをより深く知るには、過去の歴史から学ぶのが一番である。実は、法的にジェノサイドと認められた事例は決して多くはない。ジェノサイドと認められるには、集団を破壊する意図があったかどうかが重要な意味を持つ。意図は顕在化しないので簡単には認定できないという事情があるのだ。

では、法的にジェノサイドと認められている事例には、どういったものがあるのだろうか。4つ紹介する。

ナチスドイツによるホロコースト

ジェノサイドという言葉をつくるきっかけとなった、ナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺である。ドイツ人を「優れた人種」、ユダヤ人を「劣った人種」とみなし、コミュニティーに対する脅威を取り除く名目で大量虐殺や迫害が行われた。

ユダヤ人以外にも一部の他民族者、共産主義者や社会主義者、同性愛者なども迫害を受けた。1930年代のヨーロッパには900万人以上のユダヤ人が暮らしていたが、ホロコーストにより、その6割以上が殺害されたと言われている。

ホロコーストは、1945年に行われたニュルンベルク国際軍事裁判にて「人道に対する罪」として告発された。1944年に生まれたばかりのジェノサイドという言葉は、当時まだ法律用語ではなかったためだ。

ただし、ホロコーストの意図をより正しく理解するため、起訴状においては「ジェノサイド」という言葉が使われている。このようにホロコーストは、ジェノサイドを理解するため、避けては通れない事例と言えるだろう。(※4)

ポル・ポト政権による大量虐殺

1975年から1979年にかけて、カンボジアを支配したのが毛沢東主義勢力「クメール・ルージュ」であった。この勢力を指揮したのは、ポル・ポト元首相である。クメール・ルージュは新たな農業社会の実現を目指すと宣言した。そのために、自国民に対して農村部での強制労働を課したのだ。

厳しい労働環境や飢餓が原因で多くの人が亡くなり、さらに政権に異を唱える人々に対しては、拷問や処刑が行われた。亡くなった人の数は200~300万人、当時のカンボジア国民の3分の1が犠牲になったと言われている。

1979年の政権崩壊後、クメール・ルージュによる大量虐殺がジェノサイドに当たるか等の議論を含め、裁判が長く続いていた。そして2018年の判決にて、ようやく当時の最高幹部に対するジェノサイドの罪が認定された。(※5)

旧ユーゴスラビアの民族浄化

1991年、旧ユーゴスラビアの解体をきっかけに民族紛争が勃発した。ボスニア・ヘルツェゴビナでは、セルビア人、クロアチア人、ボスニア人が非常に激しい勢力争いを繰り広げ、多くの人々が犠牲となった。それぞれの勢力が、異なる民族を徹底的に排除しようとしたのである。いわゆる民族浄化だ。

内戦下において数多くの大量虐殺が起きたとされるが、1995年の「スレブレニツァの虐殺」のみがジェノサイドとして認定されている。スレブレニツァは、国連が認めた安全地帯であったが、セルビア人によるイスラム系住民の大量虐殺が行われてしまう。このわずかな期間に、8,000人以上の住民が殺害されたと言われている。(※6)

ルワンダのツチ系住民大量虐殺

1994年には、アフリカ・ルワンダにおいてジェノサイドが発生している。大多数派のフツ族と少数派のツチ族が対立し、ツチ族の大量虐殺が行われたのだ。わずか100日ほどの間に、80万人以上のツチ族およびフツ族穏健派の人々が殺されていった。

当時のルワンダには、民族対立の危機を察知した国連から、平和維持軍が派遣されていた。しかし軍は激化した大量虐殺を止めることができず、惨劇はさらに広がっていったとされる。国連加盟国がルワンダで発生しているジェノサイドに興味・関心を抱かなかったことが虐殺を加速した、と見る向きもある。(※7)

ジェノサイドと見なされている事例

国連がジェノサイドと認定した事例以外にも、大量虐殺は数多く報告されている。国連は認めていないものの、各国がジェノサイドと認識している事例や、現在も裁判が行われている事例を解説しよう。

ウクライナの大飢饉「ホロドモール」

1930年代にウクライナで発生した飢きんは、現在のロシアとウクライナの分断を生んだきっかけと言われている。豊かな穀倉地帯を持つウクライナは、歴史的に見ても優れた小麦産出国であった。

そんなウクライナで大規模な飢きんが発生したのは、ソ連が収穫物のほとんどを徴収し、国外へと輸出してしまったためだと言われている。当時のソ連政権は、ウクライナで農民を監視した。食べものを得られないようにして、400万人以上の人々を死に追いやったとされている。

ホロドモールがジェノサイドに当たるかどうかの議論は繰り返されてきた。2006年には、ウクライナ議会が正式にジェノサイドとして認定。ほかにもアメリカやハンガリー、ポーランドなど、多くの国がウクライナの認定を支持している。ホロドモールについては、以下の記事にて詳しく解説しているため、参考にしてみてほしい。

歴史的大飢饉「ホロドモール」はなぜ起きたのか 隠蔽されていた歴史

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中国でのウイグル人大量虐殺

中国の新疆ウイグル自治区において、中国政府が少数民族であるウイグル族の弾圧を行っている。「現在進行形で強制収容所への収容や拷問、はく奪、殺害といった行為が行われている」として、国際社会から強く非難されている。

中国はジェノサイドを否定しているが、アメリカやカナダ、オランダといった国々がジェノサイド認定への動きを加速している。各国は中国政府に対する非難を表すとして、2022年北京オリンピックの外交的ボイコットを実施した。

ミャンマーでのロヒンギャ虐殺

ミャンマー西部にあるラカイン州では、イスラム教少数民族ロヒンギャに対する虐殺が行われた。残虐行為を行ったのは、ミャンマー国軍である。2017年8月以降、100万人以上のロヒンギャが隣国バングラデシュへと非難し難民となっている。

ロヒンギャに対するジェノサイド問題は、2019年より国際司法裁判所にて係争中だ。2020年には、全会一致でミャンマーに対するジェノサイド防止の暫定措置を命令。2022年3月に、アメリカ・バイデン政権はロヒンギャ虐殺をミャンマー軍によるジェノサイドとして認定した。(※8)

スーダンのダルフール紛争と民族浄化

2003年より武力紛争が続いているスーダン。政府軍は、反政府勢力と同じ民族に属する一般市民に対し「民族浄化」を名目とした虐殺・暴行を行った。これによる死者は30万人、避難民は250万人にも達したと言われている。

国連は同じ年、ダルフール危機について注意し、平和維持部隊を展開した。調査委員会の最終報告書では、一連の虐殺行為がスーダン政府によるジェノサイドが政策として採用されていたとは認められなかった。ただし、ジェノサイドに匹敵するほど深刻かつ凶悪な行為として報告されている。(※9)

【2022年】ウクライナ侵攻とジェノサイド認定

2022年2月、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始した。軍事侵攻の理由は、ウクライナによる親ロシア派へのジェノサイドであると言われている。ウクライナ東部でロシア派住人が迫害されているという主張をもとに、該当地域の解放を掲げたのである。

一方で、侵攻されたウクライナ側はこれを真っ向から否定。むしろロシア軍によるウクライナ民間人への攻撃やロシアへの強制移送が、ウクライナ人へのジェノサイドに当たるとして、国際司法裁判所に提起した。国際司法裁判所は、ウクライナの要請に基づき暫定措置命令を発出。ロシアは軍事作戦を直ちに停止するよう求められた。今後の動向が注目されている。(※10)

ジェノサイドが引き起こす難民流出

ジェノサイドは、非常に大きな権力者によって少数グループに対して行われるケースが一般的だ。国の最高責任者や政治的主導者の権限で大量虐殺が行われれば、もはや自国内に安全な場所はないと考えられるだろう。自身の命を守るために、国を捨てる決断さえも迫られる。

過去のジェノサイドにおいても、非常に多くの難民を生み出してきた。1994年のルワンダ大量虐殺の際、100万人もの人々が難民として隣国に渡ったと言われている。旧ユーゴスラビアにおいては、民族浄化に伴い200万人以上の難民・避難民が発生した。またロヒンギャ難民もいまなお、避難場所での過酷な生活を強いられている。(※11)

国を追われた人々が、その後の生活をどう立て直していくのかも、非常に大きな問題と言えるだろう。

6月20日は「世界難民の日」 難民の保護と援助の関心を高める国際デー

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繰り返されるジェノサイド まずは知ることから

特定の集団・グループを破壊する目的で行われるジェノサイド。国連がジェノサイドと認めるかどうかにかかわらず、その結果は非常に悲惨なものとなる。現在進行形で行われているジェノサイドも、このまま状況が変わらなければ過去の惨劇と同じ道をたどることになるだろう。

ジェノサイドを止めるためには、まず国際社会が状況を知り、注目することが必要である。他国の状況を他人事と思わず、悲惨なでき事から目を背けない姿勢が、最初の一歩と言えるだろう。

※掲載している情報は、2022年3月31日時点のものです。

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