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AIによる雇用不安が世界的課題となるなか、アイルランドはアーティストやクリエイター向けベーシックインカムの恒久化を決定。3年間におよぶパイロット版では、受給者の精神的健康・生産性が向上し、社会的リターンを生む成果を示した。一方で、希望者の一部しか受給できないなど課題も残る。

岡島真琴|Makoto Okajima
編集者・キュレーター
ドイツ在住。フリーランスの編集者・キュレーター。変わりゆく都市ライプツィヒとそこに生きる人々の物語を記録するニュースレター「KOKO」(https://koko-de.beehiiv.c…
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アイルランド政府は、アーティストとクリエイターに週325ユーロ(約58,000円)を支給するベーシックインカムのパイロット制度を恒久化すると発表した。
この「芸術のためのベーシックインカム」(The basic income for the arts、以下BIA)は、2022〜2025年にパイロット版として実施され、2000人の芸術家やクリエイターを支援してきた。そして、調査によって受給者の生活や社会に対する肯定的影響があったことが確認されている。
そもそもベーシックインカムとは、最低限の生活を営むために一定の金額を国から受け取れる社会保障制度のこと。コロナ禍による景気の悪化や失業率の上昇をきっかけに、世界的に大きな注目を集めた。貧困削減や経済的安定につながるメリットがあるとされる一方、財源確保が難しく、労働意欲の低下の可能性があるといった懸念も指摘されている。
過去には、米国やオランダ、フィンランドなど、世界中で多くのベーシックインカム制度が試みられてきたが、そのほぼすべてがパイロット段階で中止されている。
パイロット段階を経て存続した例としては、1982年以来継続している米アラスカ恒久基金がある。だが、支払額は毎年変動し、生活維持に必要な水準には達していない。アイルランドの制度は、生活を支える水準の給付を継続する点で世界的に注目を集めている。
アイルランドのパイロットプログラムについてまとめた独立機関による報告書では、この制度で複数の成果が明らかにされている。
もっとも顕著なのは受給者の精神的健康の改善で、多くの人が財政面でのストレスが減り、全般的な幸福度が向上したと報告している。また生産性も向上し、受給者は芸術活動に週最大4時間多く費やすようになり、作品などの生産量と経済的持続可能性が高まった。
経済的な観点で見ると、パイロットプログラムに投資された公的資金1ユーロに対し、社会は1.39ユーロのリターンを得たという結果が出た。こうした結果により、2024年のアイルランド選挙で競い合ったすべての政党が本制度の延長を約束するなど、政治的支持が広がっていた。
アイルランドがこの制度を恒久化できた背景には、一般市民からの支持がある。例えば2017〜2018年にパイロットプログラムを実施したフィンランドでは、ベーシックインカムの導入には、その資金確保のために増税が必要だということが市民に知らされると、その支持は大幅に以下した。
一方、アイルランドでは、コロナ禍のロックダウン中に芸術と文化の重要性が再認識されたことに加え、パンデミックで働けなくなった人々に給付金を支給する一時帰休プログラムを政府が実施したことで、「働けない状況にある人に国が経済的支援をする」という考え方が一般市民にも受け入れられやすくなったという。
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一方で、BIAの制度には課題も存在する。2022年には8200人がこの制度に応募したが、選ばれたのは2000人だった。政府は受給者数を2200人に拡大する意向を示しているが、依然として希望者のごく一部にしか恩恵が届かない。
また、同様に困窮しているほかの労働者よりもアーティストを優遇することへの異議も存在する。
仮に18歳以上のすべてのアイルランド住民へベーシックインカムを支給する場合、年間410億ユーロ(約7.3兆円)の費用がかかると試算されている。現行のアーティスト向け制度(年間2500万ユーロ)とは比べられないほどの予算が必要であり、現時点での全市民へのベーシックインカム導入は、財政面を考慮すると実現困難だ。
AIが産業全体で仕事を不安定にするなか、この制度は今後の政策モデルとして、世界中の経済学者や政治家、研究者から注目されている。
※参考
Ireland’s basic income scheme for artists points at how governments could help sectors in crisis|The Conversation
アラスカ経済|在アンカレジ領事事務所
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