クルド人を取り巻く問題とは 国を持たない中東最大の民族の歴史と周辺の国々の事情

建物の前に立つ人々

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クルド人は国を持たない中東最大の民族ともいわれる。この記事ではクルド人問題について、クルドの歴史と周辺の国々の事情を交えながら紹介していく。

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2024.11.26

クルド人とは

建物の外に立っている人々

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クルド人は主にトルコ、イラン、イラク、シリアにまたがったクルディスタンと呼ばれる山岳地帯に居住する民族で、ペルシャ語系のクルド語を母語としている。約2,500万人~3,500万人のクルド人がいるとされ、その半数近くがトルコ南東部、イラク北部、シリア北部およびイラン北西部で暮らし、とくにトルコには人口の約18~20%を占める約1,500万人がいると推定されている。(※1※2)

クルド人の起源

クルド人は中東ではアラブ人、トルコ人、イラン人に次ぐ大きな民族だが、国家を持たないという特徴を持つ。クルド人は661年に建国されたウマイヤ朝、その後に続くアッバース朝などのアラブ人イスラーム政権に対してしばしば反乱を起こしたが、これらの戦いを経るうちにクルド人のイスラーム化が徐々に進んでいった。

950年頃にイランの北西部にシャッダード朝を、960年頃にはハサナワイヒ朝を樹立し、980年代にはイラク北部のモスルを中心としたマルワーン朝を建てて自立するものの、セルジューク朝によって滅ばされる。その後は周辺の国々に翻弄され、現在に至るまで独立した国家を持つことができないでいる。(※3)

クルド人問題の歴史

近代には多くのクルド人がオスマン帝国の領内に居住していた。第一次世界大戦が起きてオスマン帝国が敗北すると、1920年に戦勝国である連合国とオスマン帝国の間でセーヴル条約が結ばれ、そこではじめてクルディスタンの独立が認められる。しかし条約の内容が領土のほとんどを割譲、主権を侵害するなど苛酷な内容であったため、トルコ人がこの条約の廃棄を求めて反発し、1923年に新たな講和条約としてローザンヌ条約を締結する。

この条約ではクルディスタンの権利について触れられていなかったため、一度は認められたクルディスタンの独立は否認され、クルド人問題として現在まで独立を求める運動が続く原因となっている。(※3)

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ここではクルド人問題とそれに関わる国々について詳しくみていく。

トルコにおけるクルド人問題

トルコにはイスタンブールなどの主要都市を中心に多くのクルド人が住んでいるが、トルコ政府とクルド人の間には少なからず軋轢が存在する。1984年にクルド人国家の樹立を掲げてクルド労働者党(PKK)が武装闘争を開始し、1990年以降、トルコ国内の各地で事件を引き起こした。これに対してトルコ政府はクルド人労働者党(PKK)の掃討作戦を展開してきた。

2013年に最高指導者アブドラ・オジャランによって停戦が宣言されるとクルド人労働者党(PKK)は段階的な撤退を行ったが、トルコ政府はトルコ当局が攻撃を受けたことなどを理由として2014年、続いて2015年にイラク北部でクルド人労働者党(PKK)への空爆を実施した。クルド人労働者党(PKK)はこれを受け、「政府との停戦はもはや意味を失った」という旨の声明を発出し、治安当局等を標的とした襲撃事件等を続けている。(※4)トルコ政府はいくつかのクルド人集会の開催を禁じ、ほかにも公の場でクルド語を使用することを制限するなどの制限的措置を採用してきた。(※2)

イラクにおけるクルド人

イラン・イラク戦争中、イラクのフセイン政権は自国のクルド人に対して村や山林の破壊などの迫害や弾圧を行い、1980年代後半にはアンファール作戦によってクルド人の大量虐殺的隊反乱作戦が行われた。

1991年に湾岸戦争が起こって多国籍軍がクウェートをイラクから解放すると、イラク北部でクルド人による民衆蜂起が起こる。蜂起は鎮圧されたが大量の難民が発生し、クルド人の救援を求める国際的な世論が高まり、多国籍軍や国連が動いてイラク北部に安全地帯が設置されることになった。クルド人はこの安全地帯で自治を宣言し、自治政府が始動。イラク戦争後にはクルディスタン地域となった。(※5)

シリア内戦とクルド人

第一次世界大戦後、セーブル条約の締結によってクルディスタンの独立が認められると、シリア国内でもクルド民族主義が形成されていった。2011年にアラブの春と呼ばれる民主化運動が起こるとアサド政権と反体制運動の対立が深まり、クルド勢力はクルディスタン民主党(KDP)の支援のもとイラクでクルド国民評議会を結成。アサド政権打倒後のクルド人の自治や政治的権利の改善を訴えた。

そんな中、アサド政権がシリアでの活動を認めていたクルド労働者党(PKK)のオジャラン党首が国外に退去する。シリア国内に残ったオジャラン支持者は民主統一党(PYD)を結党し、オジャランの理想である武装闘争によるクルド民族の独立を目指すため、イラクやトルコで活動する人民保護部隊(YPG)の訓練を重ね、しだいに治安維持において大きな役割を得ていく。この時点ではアサド政権と民主化勢力の内戦には積極的に関わらず第三極としての立場で見られており、シリア内戦においてクルド問題は主要な争点にはなっていなかった。

しかし過激イスラーム主義武装集団の流入によってクルド人居住地域が脅かされるようになると、イスラーム国に対抗する勢力としてクルド勢力が注目されることとなった。(※6)さらにイラクを中心に活動していたISがシリアで勢力を拡大し支配地域を広げると、アメリカがISへの対抗策としてクルド勢力を支援し始める。クルド勢力の拡大を問題視したトルコはシリア国内に軍を派遣し、クルド勢力との対立を深めた。(※7)

イランにおけるクルド人

第二次世界大戦後の1946年、ソ連占領下のイラン北西部マハーバードで、ソ連の支援を受けたクルド勢力が共和国の独立を宣言した。しかしすぐにソ連の支援が途絶え、約1年で解体された。(※5)その後もイラン・クルディスタン民主党などの政治組織が自治を要求してきたが、1990年代以降は目立った武装闘争は見られていない。(※8)

イラン革命後にはイラン国内に留まったクルド人活動家たちが、憲法で規定された権利が実際には運用されていないとして、自治権やクルド人主体の治安維持機関の創設、クルド語による教育などを要求してきた。(※9)

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クルド人の独立運動と現状

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ここではクルド人が繰り返してきた独立運動の歴史と、現在置かれている状況についてみていく。

クルディスタン独立運動の歴史

クルド人は約2,500万人~3,500万人の大きな民族だが、自分たちの国を持たず、主な居住地もトルコやイラン、イラク、シリアなど多数の国にまたがっているため、それぞれの国では少数派になってしまう。そのため、クルド人による自治や権利を求めて各地でさまざまな独立運動が行われてきたが、周辺国や欧米諸国に翻弄され、いまだ自国の建国には至っていない。

独立住民投票とその結果

クルディスタン地域では、2017年にイラク・クルド自治政府がイラクからの独立を目指して住民投票を実施し、賛成多数という結果になった。しかしイラク国内外からの猛反発が起こり、結局独立への目的は果たされなかった。(※10)

国際社会の反応とクルド人自治地域の現状

第二次世界大戦の復興が進む1960年代、労働者不足を補うことを目的として多くのクルド人がヨーロッパに渡った。とくにドイツとオランダにはクルド人を含むトルコ国籍の労働者が数多く移住し、移住した先で家族を呼び寄せるなどした結果、現在ではドイツにもっとも多くクルド系移民が住んでいる。1970年代中頃以降になると、スウェーデンやフィンランドなど北欧諸国がクルド人を難民として受け入れ始める。とくにスウェーデンではクルド語の母語教育が認められており、クルド・ナショナリズムの中心的な場所として注目を集めている。(※11)

埼玉県南部に集まるクルド人

法務省の在留外国人統計によると、2023年12月時点で日本に在住しているトルコ国籍の外国人は6,464人となっている。埼玉県には約3,000人のトルコ国籍の人が暮らしているといわれ、その大多数がクルド人であると推測されている。埼玉県内では川口市を中心として、主に南部に多くクルド人が集中している。その理由は東京へのアクセスが良く比較的家賃も安いことから、先に来日した知人や親族を頼って集まるようになったといわれている。在留資格を持つクルド人の多くは建築解体業や飲食店を経営しており、とくに労働力不足の建築解体の現場では大きな存在となっている。(※12※13)

近年日本国内でクルド人に対するヘイトなどが問題となっているが、このような声が高まった原因として、2023年に川口市内で起きたクルド人同士の刺傷事件でけが人が運び込まれた病院に大勢の親族等が集まり混乱が起きたこと、生活習慣などの違いからくる地域住民との軋轢、在留資格を持たない非正規滞在者の存在などが挙げられる。

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クルド人問題と翻弄され続けてきたクルド人の歴史

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国を持たない最大の民族とも呼ばれるクルド人。その歴史は周辺国や欧米諸国に翻弄され続けるものだった。戦争や権力争いに巻き込まれ、またときには当事者となりながら、クルド人はいつの時代も自らの手による自治や権利、独立国家の樹立を求め、何度も立ち上がり続けてきた。日本人と日本に暮らすクルド人が互いに安心して暮らすためにも、まずはクルド人の歴史について知ることからはじめてみよう。

※掲載している情報は、2024年11月26日時点のものです。

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