なぜ夢の島は“ごみの島”と呼ばれていたのか 由来や昔といまの違いを解説

ごみの島のイメージ

Photo by vianet ramos

東京都江東区の町名である「夢の島」は、かつて“ごみの島”として認識されていた。本記事では、夢の島が“ごみの島”と呼ばれていた由来について解説していく。さらに当時起こった、悪臭やハエの大群、交通渋滞などの問題やその原因についても言及。現代のごみ問題についても考えていく。

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2024.06.19
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夢の島とは

緑豊かな公園のイメージ

Photo by duong chung on Unsplash

「夢の島」とは、東京都の東側に位置する江東区にある町名のことで、東京湾を埋め立ててつくられた人工島である。

町域の大部分を、スポーツ施設やバーベキュー広場、文化館などを持つ「夢の島公園」が占めており、そのなかにあるアーチェリー場は、東京2020大会時にオリンピック・パラリンピックともに予選会場として使用された(※1)。

夢の島が"ごみの島"になるまで

ごみが捨てられているイメージ

Photo by OCG Saving The Ocean on Unsplash

現在は公園内の施設で行われるさまざまなイベントの影響もあり、多くの人に利用されている夢の島。しかし、実は"ごみの島"として有名だった過去を持っている。

なぜ、"ごみの島"と呼ばれるようになったのか、夢の島の歴史を振り返りながら、説明していこう。

当初の名前は「東京湾埋立14号地」

夢の島が正式に地名となったのは、1975年。それ以前は、「東京湾埋立14号地」が正式名称であった。

その昔、江東区は大半が海だったが、江戸時代に盛んに埋め立てが行われ、現在の江東区の形になったといわれている。明治以降には、大型船をつける港をつくるために掘り出した土砂を海底に埋め立てて、人工島をつくっていったそうだ。

水陸両用の空港計画

東京湾埋立14号地が誕生したのは、1938年のこと。戦時中であった当時、江東区沖に水陸両用の空港をつくる計画が立てられ、その予定地としてつくられたのが、東京湾埋立14号地である。

しかしその後、戦局が厳しくなったことによる資材不足で、飛行場計画は中止となってしまった。

海水浴場がオープン"東京のハワイ"に

ハワイ・ワイキキのイメージ

Photo by AussieActive on Unsplash

終戦から2年後の1947年、使われていなかった東京湾埋立14号地に「夢の島海水浴場」がオープン。これをきっかけに、この土地は「夢の島」の愛称で親しまれるようになった。

当時の東京湾は、高度経済成長による水質汚染が起こる前で、とてもきれいな海であった。さらにビーチにはヤシの木が植えられ、"東京のハワイ"として多くの人で賑わったといわれている。

1957年から"ごみの島"へ

ごみの山のイメージ

Photo by Evan Demicoli on Unsplash

"東京のハワイ"と呼ばれた夢の島海水浴場は、何度もの台風被害や財政難により、わずか3年で閉鎖。それからしばらくの間放置されていた。

その後、高度経済成長によって国民の生活が豊かになるとともに、人口は爆発的に増加。それに伴い都内で発生するごみも急増し、それまでの処分場では対処しきれなくなってしまったのだ。

そこで、1957年からごみの埋め立て処分場として選ばれたのが、夢の島であった。東京都は江東区に対し、ごみによる公害を防ぐことを公約していたものの、想像を超えるさまざまな被害が発生。全国的にニュースなどでも取り上げられるようになり、"ごみの島"として広く知られるようになったのだった(※2)。

毎日5000台の収集車が集まる"夢の島"で起きたこと

当時、東京都内で出たごみの7割、なんと収集車にして5000台ものごみが、毎日夢の島に運ばれていたそうだ。夢の島はあっという間にごみでいっぱいになったうえ、ごみによるさまざまな被害が発生し、悲惨な状況となっていったのだった。

ここからは、具体的にどのような問題が発生したのか見ていこう。

メタンガス発生による自然発火

毎日5000台のごみ収集車が集まっていた頃、周辺住民の同意が得られなかったことなどにより、東京都内では可燃ごみの焼却や粉砕などを行う中間処理施設の建設が追いついていなかった。そのため、運ばれたごみは最終処分場に直接降ろされていたのだ。

生ごみを含む多くのごみが、そのまま埋められていたため地中で発酵しメタンガスが発生。自然発火して、何日間も燃え続けるという事故が頻発していた。

悪臭や害虫が住民を悩ませる

住宅街のイメージ

Photo by Nicole Baster on Unsplash

直接埋められたごみは、メタンガスだけでなくハエやネズミなどの害虫・害獣をも発生させた。それらは夢の島にとどまることなく埋め立て区域の外にも広がり、近隣住民の生活を脅かすようになったのだ。

さらに、ごみを運ぶ際に収集車から生ごみや汚汁が道路へとこぼれ、住宅街にまで悪臭が発生。住民たちを深く悩ませていた。

ごみ収集車による交通渋滞と交通事故

交通渋滞のイメージ

Photo by Kathy on Unsplash

毎日5000台もの収集車が行き交ったため、江東区内では交通渋滞や交通事故が多発。

メタンガスの発生や、悪臭や害虫といったごみそのものに起因する問題だけでなく、夢の島をめぐり多岐にわたる深刻な問題が発生していた。

ハエの大群発生

夢の島が"ごみの島"として広く知られるようになったきっかけのひとつが、ハエ問題であった。

前述したように、中間処理をせず直接埋め立てられたごみからは悪臭や害虫が発生。ついには、生ごみの山から発生したハエの大群が強い南風にのって、江東区の住宅街に襲来するという事件が起きたのだ。

ありとあらゆるものにハエが群がり、小学校では授業もままならないほどだったそう。なんと、この被害は4ヶ月もの間続いたといわれている。

生ごみの断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」などによって事態は落ち着いたが、この事件が全国的なニュースで取り上げられたため、夢の島は"ごみの島"として認知されるようになったのだった(※3)。

夢の島で起きた問題の原因とは

夢の島で起きたこれらの問題は、何が原因だったのだろうか。問題を振り返りながら、考えていこう。

ごみが直接埋め立てられていた

ごみが直接埋め立てられているイメージ

Photo by Documerica on Unsplash

メタンガスの発生による自然発火や、悪臭や害虫の発生は、ごみの焼却や粉砕といった中間処理を行わず、生ごみを含め、ごみが直接埋め立てられていたことに起因する。

直接埋め立てられていた理由のひとつが、中間処理施設不足である。施設周辺の住民の合意が得られず、反対運動などもあったため、東京都内では中間処理施設の建設が追いついていなかったそうだ。

ごみの量が爆発的に増加

高度経済成長期に突入していた当時、国民の生活は日に日に豊かになり、人口も増加。人口が増えた分ごみの量も増加したうえ、大量生産・大量消費が行われるようになり、東京都で発生するごみは膨大な量となってしまった。

これによって、中間処理施設不足はさらに深刻な状況になるとともに、5000台もの収集車が夢の島へ行き交うようになり、交通渋滞や交通事故を多発させることになったのだ。

夢の島のいま

競泳プールのイメージ

Photo by z pm on Unsplash

1965年にハエの大群が発生した際、問題解決のため消防隊に要請し、重油を撒いて夢の島一帯のごみを焼き払う「夢の島焦土作戦」が決行された。同じ年の11月に、毒団子によるネズミの殲滅作戦を行い、翌年に夢の島はごみの埋め立て地としての役目を終えたのだった。

それから10年も経たないうちに、江東区の清掃工場が夢の島につくられることになった。東京都は清掃工場建設の見返りとして、夢の島を公園化し、そのなかに清掃工場の余熱を利用した温室や体育館、水泳場、競技場、野球場の5施設を建設することを約束。その後、約束通り施設は順次オープンしていった。

公園化に向けて、夢の島の全域をおおうごみの層の上に土を被せ、芝生や樹木を植えて緑化することで、1978年に「夢の島公園」がオープン。それまでごみの埋め立てに使われていた夢の島では、浸出水(埋め立てたごみの中を通ってしみ出してくる雨水)処理施設がなく、浸出水対策が十分ではなかったことを問題視する声も上がっていた(※4)。

現在、夢の島公園には、スポーツ施設やバーベキュー広場、文化館などがあり、多くの人に利用される公園となっている。

"夢の島"以降も続く最終処分場の埋め立て

東京湾のイメージ

Photo by S. Tsuchiya on Unsplash

夢の島がごみ埋め立て地としての役目を終えた後も、違う形で埋め立ては続いている。夢の島が役を終えた後の流れを振り返りながら、今後埋め立てが進んでいく東京湾の新海面処分場についても説明していこう。

1997年まで直接埋め立てがされていた

現在、東京23区においては、可燃ごみの全量焼却や不燃ごみの全量破砕が行われている。しかし、ごみの全量を中間処理ができるようになったのは、不燃ごみは1996年、可燃ごみは1997年であった。

それまでは、中間処理できないごみは、直接最終処分場まで収集車が入り込み、ごみを降ろしていたという。

現在も燃焼・破砕後のごみが埋め立てられている

ごみの全量が中間処理できるようになったからといって、埋め立て問題が解決したわけではない。

たとえば、ごみを燃焼して発生する灰は日本全国で年間約430万トンにもおよぶといわれているが、その大半が最終処分場に埋め立てられている(※5)。また、不燃ごみも、細かく砕いて容積を小さくした後、不燃ごみのなかに含まれている鉄やアルミニウムを資源物として回収し、不燃物は埋め立て処分している(※6)。

つまり、ごみをそのまま埋め立てることはなくなっても、燃焼・破砕後のごみは埋め立てられているのだ。

新海面処分場の残余年数には限りがある

現在は、中央防波堤外側埋立処分場と新海面処分場で最終処分が行われている。

実は、この新海面処分場こそ、東京の“本当の最終処分場”といわれている処分場なのである。なぜなら、ここがごみで満杯になってしまうと、東京都はもう湾内のどこにも処分場をつくることができないから。

しかもこの新海面処分場の残余年数には限りがあり、あとわずか50年ほどで許容範囲を超えてしまうといわれているのだ(※7)。

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Photo by rivage on Unsplash

現在は中間処理を行なっているため、直接埋め立てをしていたときのような被害はでないものの、ごみの焼却にはエネルギーを必要とすることやCO2を排出すること、燃焼や破砕されたごみは最終的に埋め立てられることなどを、忘れて生活してはいけない。

まずは一人ひとりがごみをできるだけ出さない生活を心がけること、できるだけごみを減らすように暮らすことが重要である。

スーパーに行ったら必要な分だけを買い、食べ残しを発生させないようにする、使い捨てていたキッチンペーパーを繰り返し使える布巾で代用する、カフェにはマイボトルを持参するなど、いま一度自分の生活でごみを出さない・ごみを減らせるシーンがないか考え、行動に移す必要があるだろう。

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テーマパークのように楽しそうな印象を受けるその名前からは想像もつかない過去を持つ、夢の島。現在は以前のような公害はなくなったものの、ごみにまつわる問題がなくなったわけではない。

埋め立てのリミットが見えているいまこそ、夢の島で起こったことを無駄にせず、一人ひとりが危機感を持ってごみ問題に向き合っていくことが求められているのだ。

※掲載している情報は、2024年6月19日時点のものです。

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