この連載では、サステナブルな働き方に転身した人たちのストーリーを紹介する。第3回目は、神戸で農家の研修生をしている富澤希望(のぞみ)さん。人気ブランド「Saturdays NYC」のマネージャーを経て、なぜ農業の道を選んだのか? その軌跡を語ってもらった。
Sonomi Takeo
フリーランスエディター&ライター
東京生まれ・東京育ちだけど自然が好き。現在は鎌倉在住。某出版社でファッション誌、ハワイ専門誌、料理雑誌などの編集を経たのちフリーランスエディター&ライターに。独立後は動画メディアサイトの…
知識をもって体験することで地球を変える|ELEMINIST Followersのビーチクリーンレポート
「このまま一生、農業はやりたいと思っています。もう職を変えることはないんじゃないかな(笑)」
とほがらかに話す富澤希望(のぞみ)さん。いまは兵庫県三宮近郊に住み、新規就農者を目指して修行中だ。しかし、富澤さんの生まれは東京。新卒で入社した会社は、なんとアパレル企業だ。
「入社後の配属先は、高級志向のセレクトショップでした。最初は販売員で、その後はバイイングやPRの仕事にも携わり、イタリアの職人さんの手で仕立てられた、一着10万円以上もするような上質なものだけを扱っていました」
しかし富澤さんが入社してから約1年後の2008年、リーマンショック(※)が起こり、世のなかの金融経済はたちまち暗転。所属していたブランドも、4店舗からわずか1店舗に縮小された。
※2008年9月、アメリカの有力投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻し、それを契機として広がった世界的な株価下落、金融不安(危機)、同時不況を総称する。
それから2年経った2010年。ついに富澤さんも、会社が新たに立ち上げたファストファッションブランドの店長に任命される。
「リーマンショック後に海外からファストファッションブランドが次々と日本に上陸し、国内でも安価で買えるアパレルブランドがこぞって立ち上がりました。そのころくらいから、アパレル業界の現状に対して、少しずつ違和感を持ちはじめました。
ファストファッションすべてを否定するわけではありませんが、大量生産、大量消費による問題がある。品物の単価が安い分、農場主も含めて労働者の賃金は当然安くなる。そして残った在庫は焼却されて、環境にも影響を及ぼします。
働きはじめるまでは、僕はただのサッカー好きな学生でした。でも、社会人になってからはこの問題については考えざるをえなくなったし、やはりファストファッションの流れは、どうしても受け入れがたかったです」
Photo by 富澤希望さん
(左)新卒で入社後、最初に配属されたセレクトショップにいたころの富澤さん(右)富澤さんは、休日はよく波乗りをしていた
新店舗に異動してからの富澤さんは、モヤモヤした気持ちを抱えながら仕事に向かっていたという。ほどなくして元の部署に戻り、そのうち会社が新たにサーフファッションを軸にしたブランドを展開させることが決まった。
「それにあたってマネージャーを社内公募していました。サーフィンは趣味のひとつだったし新しいことにチャレンジしたかったので、自ら手を上げました」
富澤さんが立ち上げに関わった「Saturdays NYC」1号店は、2012年に日本のファッション界にブームをもたらした。
「コーヒーを片手に洋服を見る」というおしゃれなスタイルが、都会的でスタイリッシュだと話題に。ファッション誌やカルチャー誌など各メディアで特集され、注目を集めた。
Photo by 富澤希望
代官山店は、休日になると常に人で溢れているほどの人気ぶりだった
「いまでこそこのスタイルは多く存在しますが、当時はコーヒースタンド自体が少なかった。ましてやアパレルショップに併設されているお店はまったくなかったですね。ニューヨークではサーフファッションがちょうどトレンドだったし、いろいろタイミングがよかったんだと思います。
何より、そのスタイルはお客さんとの距離感が縮まる。コーヒーを飲みに立ち寄るお客さんも店員もリラックスできるからいろんな会話が生まれる。そんな魅力がありました」
お店は順調。仕事もプライベートも充実し、忙しい日々。いわゆる“イケイケどんどん”なアパレルボーイだった富澤さん。
「お酒のつきあいも多かったし、毎日遅い時間に帰宅して朝は早い。楽しくもあったけれども、睡眠時間はかなり少なくて体調も崩していました。いま思うと身体的にはしんどかったですね」
Photo by 富澤希望
「代官山店にいたのは丸1年でしたが、3年分の濃さはありました(笑)」(富澤さん)
代官山店のオープンから1年後、また新たな転機が訪れる。2号店である神戸店を立ち上げるため、転勤が決まったのだ。
「最初は正直、いやでした(笑)。僕は東京出身で、神戸には縁も知り合いもありませんでしたから」
新神戸の駅につくと自然あふれる山々が見え、東京とは異なる趣だ。降り立った瞬間、「どうしよう、早く帰りたい!」と思ったそう。
しかし実際に住んでいるうちに、神戸が大好きな街へと変わっていった。
「引っ越ししてきたばかりのときは、とんでもないところに来ちゃったなぁ、なんて思っていましたが、ひとつの場所にいろんなものがギュッと詰まっていて、コンパクト。
神戸は街が山と海に囲まれていて、それぞれ自転車で5〜10分くらいの距離感だから、お店の休憩中に海まで行ってお弁当を食べたりなんかもできる。そのうちに『あれ? なんか最高だな』って思うようになりました」
高いビルが建ち並んでいて、人がたくさんいて、空気を吸ったら排気ガス……。生まれた時から東京のそんな生活が、当たり前だった。
でも転勤をきっかけに、自然に近くて空気のおいしい場所に来ることで、自分自身を見つめ直すことができた。
「都会っ子だと思っていたけど、実は自然がある生活のほうが自分には合う、と気づいたんです。本当は3カ月で戻るという話だったんですけど、会社に『残りたい』とお願いして、そのまま神戸にいることにしました」
Photo by 富澤希望
Photo by 富澤希望
神戸の漁港からは山も見える。自然がすぐそこにある街だ
Photo by 富澤希望
持ち前の探求心でバリスタの腕も磨いた
神戸店での富澤さんは、「バリスタとして成長したい」と東京で受けたトレーニングを基礎に、バリスタの仕事に集中。開店1年後には会社を辞め、バリスタとして新たな道へ進むことを決めた。
お店は構えず車での移動販売。神戸に限らずさまざまな地方を回った。
Photo by 富澤希望
いろんな地方へ移動しながら自身が淹れたコーヒーを販売。「印象に残っているのが小豆島の段々畑。地元の人が昔からの伝統を守りながら保たれている景観は、とても美しかったです」(富澤さん)
神戸のファーマーズマーケットでコーヒー販売も行った。そこに出展している農家さんと話す機会も増え、農業への興味が徐々に高まっていった。
そしてついに、コーヒーの移動販売の傍らで、知人の畑を手伝うことに。
「飲食店を経営しているその知人は、自分の畑で穫った野菜をお店で調理して提供しているんです。ほんとうにおいしくて、手伝ってみたいと思いました」
畑に出るのは、1週間に一度程度。畑へ行くたびに成長する野菜を見るのがおもしろくて、どんどん農業へとのめりこんでいった。
「食に対する想いもありました。忙しすぎてライフスタイルが乱れたことが原因で体調をくずしたこともあって、『食がいかに健康でいるために大事か』ということに気づいたんですよね」
Photo by 富澤希望
自分の畑で穫った野菜でつくった料理は格別だ
農業研修生となり1年。現在は、2軒の農家についている。就農者になるためには、約1200時間の研修時間が必要だ。
「このままいけば、2021年には新規就農者になれると思います」
さらに農業に専念するために、コーヒーの移動販売は2019年に活動を縮小。2018年にオープンしたファーマーズマーケットのリアルショップ「FARMSTAND(ファームスタンド)」で立ち上げ当初から働いていたが、こちらも2020年夏には辞めて現在は毎日畑作業を行なっている。
Photo by 富澤希望
「FARMSTAND」は神戸の野菜を中心に地産地消がコンセプト。有機栽培の農作物の「ほか、海産物、加工品、コーヒーなどを販売している
Photo by 富澤希望
沈む夕陽や山並みが見える絶景
Photo by 富澤希望
今年からおうちで飼い始めた愛犬のモク。里親募集の保護犬を引き取った
Photo by 富澤希望
いまは三宮から車で30分ほどの平屋の古民家に住み、自宅前の畑で農作業を行なっている。
「農業は商いの原点だと思うし、クリエイティブな仕事でもある。いまはいろんな種類の野菜を育てていて、どの野菜が自分に合うか、試しているんです。どの野菜をつくるかによって、全然やることも変わるんですよ。それも楽しいですね。
あっという間に時間が経って、1日が過ぎるのがめちゃくちゃ早い。24時間じゃ足りないくらい。何より、自然のなかにいるとパワーをすごくもらえる。朝4時半に起きて朝日をいっぱい浴びて、夜は満天の星を眺められる。
もともと自然派だったわけでもないし都会っ子だったけど、これ以上気持ちいいことってないですよね。みんなこういう生活したらいいのに……と本気で思います(笑)」
目の前の課題はたくさんある。でも、試行錯誤しながらもさまざまなことを挑戦し、「おいしく身体にやさしい食材を届けたい」という気持ちは変わらない。
たとえば肥料として茅葺き(かやぶき)屋根で使い終わったカヤを堆肥化させ、畑に使って試しているという。
「近くに茅葺き屋根の職人さんが住んでいるんです。ご近所さんにもたくさん協力してもらっています」
Photo by 富澤希望
Photo by 富澤希望
収穫したばかりの野菜たち
でも、いくら好きとはいえ田舎に住み農業を始めるのは大変だったのではないだろうか?
「むしろその逆なんです。20分くらい車を走らせればスーパーもあるし、滅多に行かないけどコンビニもある。実は不便なところってまったくなくて。困ることはないですね
それに実家が農業をやっていたら、子どもの頃から手伝わされていただろうし、もしそうだったら逆に農業をやっていないんじゃないかな。知らないことだから知りたいって思うし、やればやるほどおもしろい。
もともと、洋服でも食べ物でも、つくられている過程や背景に興味があるほうです。ものづくりも好きで、農業は自分の手でイチからつくることができるので、やりがいを感じます」
Photo by 富澤希望
地方への移住で富澤さんが大事にしているポイントはあるのだろうか。
「やっぱりそこに住んでいる“人”は大事ですよね。家選びも大事ですが、その土地のコミュニティになじめるかどうかも大切です。まったくもってバックグラウンドがわからないと誰でも少しは警戒心って生まれてしまいますよね。
でも、『○○さんの知り合い』という肩書きがつけば、ちょっとは見方も変わると思うんです。僕がいまの場所に引っ越したのも、知り合いがいたから。だから少しでも顔見知りをつくっておくといいですよね。
最初からいまの集落の人たちと打ち解けられなくても、地域ごとのルールを尊重しながら、集落の中でいっしょに草刈りをしたり田植えをしたりしながら話をしているうちに、徐々に仲良くなることができます」
ものづくりや人への真摯な考え方は、どこにいても変わらない。東京で最先端のファッションブランドから農業へ転身と聞くと180度ライフスタイルを変えたようにも見えるが、すべてはつながっていて、自然な流れでもあったのだろう。
「今年は世界的にいろいろあって、これからの時代は“生き方の本質”が問われそうですよね。良くも悪くも東京という街はスピードが速いので、東京から変わらないと全国的にも変わらないと思うんです。
自分としては、せっかくアパレル業界に携わってきたので、『農業ってカッコいい!』と思ってもらえるような発信がこれからはできたらいいな、と思っています」
Photo by 富澤希望
見事な冬瓜を収穫!
畑や野菜の話になると、生き生きとした語り口になる富澤さん。収穫した作物に“ひとてま”加えた商品も、オンラインショップで販売中だ。本当に心から充実していて、楽しいことが伝わってくる。
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