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かつて、多くの国がヨーロッパ諸国により植民地化されていた。植民地には、どのような歴史があるのだろうか。欧米や日本による植民地支配や、植民地支配された国のいまを解説する。
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植民地とは、ある国がほかの国や地域を政治的・経済的に支配すること。支配する国は「宗主国」、支配された国や地域のことは「植民地」と呼ぶ。植民地の一般的な特徴には、政治的支配や経済的搾取、文化への影響、社会的・人権的抑圧などがある。
植民地は英語で「colony」という。これはラテン語で「開拓地」や「農場」を意味する「colonia」に由来するとされる。ローマ帝国時代には、退役軍人や市民が新しい土地に移住して定住することを指して「colonia」と呼んでいた。
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植民地の統治形態にはいくつか種類がある。それぞれの統治形態を解説する。
属領とは、宗主国に付属している領土のことをいう。属領は宗主国によって完全に支配された領土であり、政治的、経済的自由はない。属領の政治や軍事をつかさどる最高行政官は「総督」という。
保護国とは、国際法上は独立国だが保護条約などによって国家の主権を宗主国が保護している国のことをいう。条約により保護内容は異なるが、外交権や財政権、軍事権などを宗主国に握られている状態となる。
租借とは、国同士の土地の貸し借りのこと。国家間の特別な同意のもと、期限つきで借り受けた他国の領土のことを指す。租借された領土では、租借した側の法律が適用される。
委任統治とは、第一次世界大戦後に国際連盟が設けた制度。国際連盟の委任により、敗戦国が植民地としていた国・地域を戦勝国が統治すること。
信託統治は、国際連合の信託を受けた国が一定の非独立地域を統治する制度である。信託統治は委任統治制度を継承したものであったが、委任統治制度が実質的には植民地支配と変わらなかったことを省みて、統治国に権限を与えるのではなく、国連が監督や指導を行うものとなっていた。この信託統治制度は、信託統治領がすべて独立したことにより1994年に終結した。
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欧米の植民地支配はどのようにはじまり、現在はどのようになっているのか、その歴史を解説する。
植民地支配のはじまりは、大航海時代にさかのぼる。この時代の先駆者であったポルトガルとスペインが、大西洋に進出した。
ポルトガルは、1415年にアフリカ大陸北西端にあるモロッコのセウタを攻略。1498年にはアフリカ経由でインドに到達した。これを手始めに、ポルトガルはおもにアジアに進出し、インドのゴアや中国のマカオなど東南アジアの交易拠点を支配していく。
一方のスペインは、コロンブスに新航路開拓を命じインドを目指す。1492年にカリブ海のサンサルバドルに到着したことから、おもにアメリカに進出。新大陸の探索をさらに進め、1521年にはスペイン人のコルテスがアステカ帝国を征服。1533年にはスペイン人のピサロが、インカ帝国を攻め滅ぼした。その後スペインは、総督を現地に送り込み支配を行っていった。
17世紀に入ると、オランダ、イギリス、フランスが植民地競争に参加。オランダは、東インド会社を設立してアジアに進出した。このころには国力が衰えていたポルトガルから香辛料貿易の主導権を奪取し、現在のインドネシア一帯を植民地にした。
貿易で大きな利益を得るようになったオランダを目の敵にしていたのがイギリスだ。イギリスは自国の利益を守るため、1651年に「航海法」を制定する。これにオランダは反発し第1次英蘭戦争が起きる。イギリスとオランダの対立は、その後第2次、第3次英蘭戦争へと続いていく。
一方イギリスとフランスにおいても植民地をめぐる一連の戦争が起きる。この戦争の戦場になったのは、ヨーロッパ宗主国、インド、北アメリカなどの植民地だった。1763年のパリ条約でイギリスはフランスから多くの植民地を獲得し、インドや北アメリカの支配権を得た。しかしイギリスが北アメリカの植民地で重税を課したことにより、それに反発した植民地の人々によって1775年にアメリカ独立戦争が勃発。アメリカの独立をフランスが支援し、一方、フランスで起こったフランス革命へのイギリスの介入など、両国間の争いは続いていく。
植民地における重要なキーワードとなるのが、18世紀中頃から19世紀初頭に起きた「産業革命」だ。産業革命により、原料供給地と市場を求めてヨーロッパ諸国は植民地獲得に向かった。なかでもイギリスは、もっとも広大な植民地を獲得した。また製品は海外植民地に輸出され、植民地が市場となった。このようなヨーロッパ諸国による帝国主義により、植民地は拡大していくことになる。
二度の世界大戦は、植民地に影響を与えた。第一次世界大戦後には国際連盟が委任統治を採用し、戦争に敗れたドイツ、トルコ(オスマン帝国)の植民地や一部を、イギリスやフランスなどが統治することとなった。第二次世界大戦後には、宗主国が軍事的・経済的に弱体化したのをきっかけに、多くの植民地で独立運動が活発化した。
日本も、植民地支配をしていたことがある。その歴史を解説しよう。
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日本の植民地支配のはじまりは1895年だ。日清戦争に勝利した日本は清国と下関条約を結び、台湾を領有。総督府を置いて植民地支配を進めた。インフラ整備(鉄道、道路、港湾)、教育制度の導入、農業の改良といった近代化政策を進めていく一方で、日本文化の強制や反対運動の抑圧も行われていた。
1905年の日露戦争の勝利後、日本は韓国を保護国化し、1910年には韓国併合により完全に植民地化した。朝鮮総督府を設置し、朝鮮人の言論・集会・経済活動などは著しく制限され、また日本語の使用を強制し、民族の伝統的文化を禁じるなどの日本文化の押し付けも行われていた。1919年には植民地統治に反対する人々によって三・一独立運動などの大規模なデモやストライキなどが各地で行われた。
1945年の第二次世界大戦の敗北によって、日本の植民地支配は終焉を迎えた。台湾は中華民国に返還され、朝鮮半島は南北に分割され、北緯38度線を境に北部をソ連軍が、南部をアメリカ軍がそれぞれ占領することになった。日本による植民地支配は、インフラの整備や産業の発達により生活水準が向上した一方で、同化の強要や差別など多くの苦難と搾取を伴うものであった。これが、現在の日本と植民地だった地域との関係にいまも影響を与えている。
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植民地支配された国が、現在どのような状況になっているのかを見ていこう。
20世紀初頭、日本と現在のタイを除くほかの国々は欧米諸国に支配されていた。第二次世界大戦後、宗主国が疲弊し経済的・軍事的に弱体化したことを機に多くの国で独立を目指す民族運動が高まる。
イギリスに支配されていたインドは1947年に独立。現在では貧困や経済格差、インフラ整備の不足などの課題が残るものの、経済的に急成長を遂げている。
そのほか、オランダからインドネシアが、イギリスからマレーシア・シンガポールが、アメリカからフィリピンが、フランスからベトナムが独立した。
アフリカ諸国が植民地支配から独立を果たしたのは1960年前後のこと。1960年には旧フランス領植民地を中心に17か国が独立したため、この年を「アフリカの年」と呼ぶ。これは、第二次世界大戦後の世界的な脱植民地化の潮流の一環として起こった。
フランスからカメルーン、セネガル、トーゴ、マダガスカルなどが、イギリスからナイジェリアなどが、イタリアからソマリアなどが独立した。
その後、1963年にアフリカの独立諸国は「アフリカ統一機構(OAU)」を設立し、政治的・経済的統合を目指す。OAUは2002年にアフリカ連合 (AU) へと発展・改組され、2021 年には「アフリカ大陸自由貿易圏(AfCFTA)」の運用が開始。アフリカ諸国の経済的な地域統合を目指す動きが本格化している。(※1)
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植民地の歴史を学ぶことは、未来に向けてより公正で平等な社会を築くために欠かせない。植民地支配は多くの国々に深い傷跡を残したが、それを認識することが経済的、社会的、文化的な不平等を是正する一歩となる。
また教育を通じて次世代に正しい歴史認識を伝えることが、平和で平等な世界を実現するための基盤となる。過去の教訓を踏まえ、持続可能な未来を構築するための一助としよう。
参考
・租借|精選版 日本国語大辞典
・保護国|デジタル大辞泉
・委任統治|改訂新版 世界大百科事典
・国際信託統治制度|国際連合広報センター
・【世界の歴史】 新航路の発見とヨーロッパの国々の動き|進研ゼミ
・近現代の朝鮮半島|NHK
・和解と記憶関連エッセー・書評|早稲田大学
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