誰もが一度は経験がある「ボランティア」。日本では無償で奉仕するイメージが一般的だが、語源を紐解くと元々の意味はそうではない。そこでボランティアの意味と定義を改めて解説する。また、ボランティアの種類や例も紹介しよう。
ELEMINIST Editor
エレミニスト編集部
日本をはじめ、世界中から厳選された最新のサステナブルな情報をエレミニスト独自の目線からお届けします。エシカル&ミニマルな暮らしと消費、サステナブルな生き方をガイドします。
わたしたちの買い物が未来をつくる|NOMAが「ソラルナオイル」を選ぶワケ
「ボランティア」は、ラテン語で「自由意志」を表す「voluntas」という言葉から生まれた。つまり、そもそも「自分の意思によって自ら進んで行うこと」をボランティアという。
また、ボランティアの定義は、「自主的に社会事業などに参加する活動」や「そのような活動を行う人」だ。
そもそもボランティアの語源はラテン語の「ボランタス(Voluntas)」で、本来の意味は「自由意志」である。それが戦乱の続くヨーロッパで「自警団」や「志願兵」という意味に次第に変化し、今日海外では「自発的に行動すること」という位置付けでこの言葉が使われている。
ボランティアといっても、さまざまな種類がある。
災害が起きたときに、救援物資を届けたり、がれきや土砂の撤去を手伝ったり、復興のための活動を支援するボランティアだ。
ビーチクリーン、リサイクル、植樹、動物愛護など、自然保護や環境保全の多くの活動はボランティアによって支えられているだろう。
日本のみならず、世界の人々に支援を行うボランティアも多い。十分な食料を得られず、安心して毎日を送れるのは世界で一部だけだ。そのような過酷な環境にある人々を支援する活動もボランティアによって行われているケースが多い。
献血や治験は、わかりやすい健康や医療のボランティアのひとつだ。
地域でスポーツイベントの開催時に手伝いを行ったり、演劇、音楽などの文化活動におけるボランティアもある。
Photo by Nathan Dumlao on Unsplash
近年、日本で起きた自然災害でも大きかったのが、2011年に起きた東日本大震災だ。個の際は、各地で被災者や復興のためのボランティアが多く活動した。また、復興のために多くの寄付が集まり「寄付元年」とも呼ばれている。
オリンピックの開催にもボランティアの力が欠かせない。海外から訪れる観戦客のために、外国語で案内を行うボランティアなど、多くの人が活動してイベント開催を影で支えている。
フードバンクは、まだ食べられるのに廃棄される食料を、食べ物を必要としている人に届ける活動。余剰に余ってしまった食品をフードバンクに寄付することも、ボランティアのひとつと言えるだろう。
ボランティアといえば横断歩道の交通誘導員や、公園のゴミ拾いをしている人たちがもっとも身近な存在だろう。子供のころから無償で奉仕する大人たちを見て育ってきた私たちには、「ボランティアはお金を貰わないでするもの」という共通認識がある。それゆえ人の役に立ちたくても、お金や時間に余裕がないと手が出しづらいのが現状だ。
最近はボランティア休暇制度を福利厚生として取り入れる企業もあるが、それもまだまだ稀。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでも、抽選で700社に20万円のボランティア休暇制度整備助成金が出される予定だが、大会運営に必要とされているボランティアの総数は8万人である。※1
そのため、ほとんどの人は自分の財布から必要経費を捻出して活動にあたることになる。ボランティアには金銭の授受が発生しないことが常識の日本では、これを疑問に思う人はむしろ少ないだろう。
しかし実は、この常識は海外では当たり前ではないことを、みなさんはご存知だろうか。実際、海の向こうの国々では、報酬が発生するボランティアは星の数ほど存在する。なぜならボランティアという言葉には、元来「無償の」という意味は全く含まれていないからだ。
日本に「ボランティア」という言葉が海外から伝わったのは、今から遡ること100年前の大正時代。明治時代には、新一万円札の顔となる渋沢栄一が福祉分野の慈善事業で活躍したり、金銭的に余裕のある人が地域福祉を助けるセツルメント運動が盛んに行われたりしていたため、「慈善活動」という意味に置き換えられてしまったしまったようだ。
日本で急速にボランティアの存在が知れ渡ったのは、1995年の阪神・淡路大震災がきっかけと言っても過言ではない。当時はこのショッキングな出来事に心を痛めた老若男女が全国から被災地に集まり、炊き出しや清掃などに尽力した。
そうしてボランティア活動は一般市民にも身近な存在となり、今では震災が起きたとしても、全国各地から迅速に有志が集まるようになった。しかし国民の意識が高まっている反面、0円で使える労働力としてボランティアを悪用するケースが多発しているのもまた事実だ。
島国である日本では、どうも外来語が誤認識されたまま使われる傾向がある。そのため本来は「無料で使える労力」という意味ではないボランティアが、都合の良いように使われる事案が少なくない。
次回のオリンピックでも、誘導係や案内係のみならず、運転手やカメラマンも無償ボランティアに頼る方針だ。奉仕する側が自ら手を挙げたとはいえ、専門性を必要とする労働に対しても賃金を払わないのは、国際化していく日本で今後も容認されていくべきかどうか、議論の余地が残る。
ELEMINIST Recommends