地球温暖化や資源の枯渇などのグローバルな問題を考えるときに挙がる理論がある。コモンズの悲劇だ。半世紀以上も前に提唱されたコモンズの理論とは何か。持続可能性を考える上でキーとなるこの理論の原因や具体例、その解決策を紹介する。
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コモンズの悲劇とは、誰でも自由に利用できる状態にある共有資源の管理がうまくいかないと、資源が過剰に使われてしまい、回復できないほどのダメージを負うことなる現象のこと。
アメリカの生態学者であるギャレット・ハーディンが、1968年に「共有地(コモンズ)の悲劇」としてサイエンス誌に投稿した。
共同牧草地で個々の農家は、多くの利益を求めている。他の農家より一頭でも多くの牛を放牧することが経済的には合理的ではあるが、過剰放牧が起こるとすべての農家が共倒れしてしまう。
合理的に行動する限り、人は限界値を超えていくということに警鐘を鳴らした。コモンズの悲劇とよく似たものに有名な囚人のジレンマがある。合理的な選択を行う個人の行動は自分の戦略だけでなく相手のとった戦略にも依存する。
地球温暖化やオゾン層の破壊など、地球的規模で起こっている問題にも通じる話であると言えるだろう。
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コモンズの悲劇が起こる条件の一つに誰でも利用できるオープンアクセスの問題がある。その対策としてとられているのが、行政が利害関係者に有償で所有権や独占権を与えて管理する方法だ。例には次のようなものがある。
同じ周波数の電波を使うメッセージは互いに混信してしまう。無秩序に使われると紛争に発展する可能性があるため、電波周波数は排他的に利用しなければならない。
日本では放送局や携帯電話事業者などに対して、電波使用料を対価に総務省が電波周波数の割当を行っている。多くの国で同じような管理方法が採られている。
マグロやサンマなどの魚の価格が高騰している。世界的な健康食ブームや中進国の経済成長などで、魚を食べる人が増えているからだ。
近年公海上ではさまざまな魚が乱獲されており、かつては庶民の魚であったアジやイワシなどの漁獲高が減っている。漁獲制限も行われているが、公海は広く実質的に取り締まるのは難しい。
二酸化炭素は共有資源である大気に排出され、温暖化を引き起こしている。すでに温暖化はわたしたちが住む地球環境に大きな影響を及ぼしており、この状態が続くと異常気象による河川の反乱や土砂災害などが深刻化する。
各国は温室効果ガスの削減目標を定めたり、省エネルギーや代替エネルギーの導入に取り組んだりしている。
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自分が行動を変えるだけで済むなら問題は比較的単純だ。しかし、社会にはさまざまなタイプの人がいる。個人の良識ある行動は徒労に終わることも多い。
共有地の問題を解決する一つの方法は、共有地を分割して私有地にすることである。ところが、環境のようなグローバル規模の問題には分割が不可能なものが多い。
たとえば、先の例のように近年漁獲制限がかかっているクロマグロのような海洋資源に網をかけて領海から出ていかないようにすることは現実的ではない。
また、共有地は私有地化することでコモンズの悲劇は解消されるが新たな悲劇が登場する。それがアンチコモンズの悲劇だ。
私有地が乱立し、本来共有されるべき土地まで私有地になってしまうことで社会にとって有用な資源まで活用が妨げられてしまう。知的財産権はアンチコモンズの悲劇の代表例だ。
コモンズの悲劇を回避するもう一つの方法は社会主義である。社会主義を選べば、すべての共有地は計画的に管理できる。しかし、社会主義が十分に機能しないことは歴史を見れば明らかだろう。
私達にできる現実的な解決法はルールづくりだ。ルールを破ったものには、しかるべきペナルティを与えるなど、なんらかの強制力を働かせれば多くの問題が解決する。
ルールづくりがうまく行かないこともあるが、根気強くルールを遵守するメッセージを発信し続けることが大切と考えられている。
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合理的な経済活動を行う工業国にとって、コモンズの悲劇はわかりやすい理論かもしれない。生物は元来利己的に振る舞うものだ。
そのため、コモンズの悲劇を完全に防ぐことは難しい。しかし、人間は他の生物や、地球の未来について考えられる知性を持っている。
問題を放置すれば、これまで地球上に存在した動物のようにいつか人間も絶滅するだろう。環境や資源のようなグローバルな課題は全世界の共通の課題として考えなければならないが、現代にあっても環境容量ギリギリまで過度に環境に負荷をかけることなく、人間と自然とがうまく共栄している地域や民族も存在する。
このような事実を私達は深刻に受け止め、学び、未来のために行動しつづける必要がある。
※ 参照サイト
The Tragedy of the Commons|Science
https://science.sciencemag.org/content/162/3859/1243
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