衣類をリサイクルするためにある回収ボックス。そこに入れられた服はどのようにリサイクルされるのか。この疑問に回答すべく、一般社団法人unistepsの共同代表として活動している鎌田安里紗氏がケニアを訪れた。衣類が取引される市場からファッションに携わるデザイナーまで、“服の墓場”と呼ばれるケニア・ギコンバの現状をレポートする。
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ブランドの売れ残り品や店頭で回収された服が行きつく先で何が起こっているのかを知る人はほとんどいないだろう。事実、日本では店頭回収された衣類がその後行きつく先を把握している企業はほぼない。この疑問を胸に、実際にケニアを訪れた鎌田安里紗氏にケニアの現状を聞いた。鎌田氏はギャル雑誌でのモデルやアパレル販売員を経て、ファッション産業の透明性を高めることを目的に取り組むファッションレボリューションジャパンのプロデューサーや、一般社団法人unistepsの共同代表として活動する。
——ケニアを訪れた目的は?
メディアを通じて“服の墓場”と呼ばれる地域がケニアやガーナ、チリにあることは知っていましたが、実際に服の行きつく先で何が起こっているか、現地の人がどう感じているのかを知りたいと思っていました。
——実際に訪れてもっとも印象的だったことは?
難しい質問ですね。「だからいい」という誤解を生みたくないのですが、思っていたよりも古着が現地で使い倒されている点でしょうか。そのまま着ることが難しい古着はその場で直して売っている人がたくさんいて、それを選んで購入する人がいる。売る人も買う人も、古着を自分なりにどんどんカスタムしてアレンジして身につけるカルチャーを新鮮に感じました。
——古着はどこからやってきてどのように運用されているのですか?
ナイロビの近くにあるモンバサは東アフリカ最大の港で、関税が安くヨーロッパ、中国、アメリカからの古着が多く入ってきます。その服の塊を現地では“ミトゥンバ”と呼んでいて(日本ではベールと呼ばれているもの)1個約50kgで2~3万円で売られています。
ケニア最大の古着市場ギコンバで、ミトゥンバ屋さんは国ごとに分けて販売し、古着を売る人は、ミトゥンバを仕入れてその中の古着を売っています。売れる服はそのまま売って、売れないものは直して売って、クオリティが低いものはウェス屋に売るといったように段階的に分けていました。前は5~6割がそのまま売れていたけれど、いまは2~3割だそう。ミトゥンバの中身は、購入するまで見ることができないので、ギャンブルのような感覚だと言っていました。
服がハンガーにかけられて売られているところもあれば、箱にざばっと入れられて売っているところもある。さらにミシンを使ってその場でどんどん直している場所があってそのスピードがとにかく速くてエネルギッシュ。つくり替える人も生き生きしていて驚きの光景で、面白ささえ感じました。目分量で切って縫って、大人サイズの服を子ども用につくり替えたり、色を塗ったり。子ども服は回転が速く売れるそうです。端切れはそのまま床に積まれていて、足元が1mくらいの端切れの地層のようになっています。そこにたまにトラクターがやって来て、回収していきます。その後、埋め立て地に運んでいくのでしょう。
他方、そのまま捨てられている端切れもあって、ギコンバの中を流れる川には端切れがなだれ込んでいました。その後に訪れた埋立地も端切れの山がそこら中にありました。素材はポリ混がほとんどで、3枚に1枚がポリエステルという調査もあり、プラスチック汚染につながっています。ケニアはプラスチック汚染を抑えるために、プラスチック袋の製造・輸入・使用が禁止されていますが、服の形をしたプラスチックでいっぱいになっているという矛盾………。生地の形をしていると有害性を感じにくいのも課題だと思いました。ケニアのようなごみ処理システムが機能していない場所では、プラスチックがいろんな形で自然に取り込まれている。今回の訪問で唯一有害だと断言できるポイントでした。
——どのくらいの量の古着がどこから送られてくるのでしょうか。
ケニアの産業省や研究所にも話を聞きに行きましたがアンオフィシャルな取引も多いので、正確なデータは取れないという話でした。共有してもらったレポートでは、2019年に輸入された古着は18万5千トン、中国・パキスタン・カナダ・イギリス、アメリカが上位輸出国ということでした。
——先ほど古着をそのまま売れるものが減っているという話がありましたが、古着の質も落ちているのでしょうか。
質に関しての調査はさらに難しいようです。世界の繊維生産のデータの変遷を見ても石油由来のものが増えたことは間違いないですし、今回落ちているものやタグを見たものではポリエステル混が圧倒的に多かった。また、以前よりもミトゥンバの当たりが減ったーーつまりよいものが入っていることが少なく、商売にならないと文句を言っている人もいました。ただ、何を持って質を判断するのか、人によって感じていることも異なるようで何ともいえないですね。
合成繊維を用いてつくられた服が多く、いずれもそのまま埋め立てられる。
——日本では回収ボックスのその先が辿れないとして、問題になっています。
回収ボックスの先や企業が手放した在庫がどこに行き、どんな影響を及ぼしているかわからない状況であるのは確かです。ケニアで日本の服を探しましたが、私が見た範囲ではありませんでした。ただし、研究所でそのことを話すとアジアからのベールに紛れてやって来るとの答え。日本の服はまず、マレーシアやインド、パキスタンに送られ、その後アフリカに来ているそうです。こうした見えない状況の中で、メーカーは非常に慎重にモノをつくる必要があるし、どうやって終着点に責任を持つのかを、つくる側が真剣に考えないといけないですよね。
——ケニアで中古衣類に携わっている人も多いとか。
ええ。比較的貧しい方々が今日明日の生活費を稼ぐために携わっていて、安定はしていません。職を生み出しているのは事実ですが、いい状況とはいえないと感じました。職のつく方は別の方法があると思います。そして、私が想像していた以上に服を直して着用されており、服の寿命は少し伸びてはいますが、その後ケニアで手放された服は行き場がない。リニア型モノづくりの終着点であることは変わりません。適切に処理する仕組みがないので埋め立て地行きです。日本のようにオーガナイズされたごみ回収の仕組みがある国こそ、本気で模索していく必要があると再認識しました。
——古着が大量に集まることでそれに従事する者が生まれる一方で、現地のアパレル産業をひっ迫していることもあります。実際に現地の縫製工場やデザイン専門学校に訪れたときに感じた課題は?
専門学校2校を訪れ、たくさんのデザイナーの卵に出会いました。印象的だったのは学生が前のめりに自分の作品をプレゼンしてくれたこと。日本で働けるブランドがあるかと聞かれたり、ニューヨークやヨーロッパを目指したいと言う人もいます。すでにケニアで自分のブランドを立ち上げた約20人の方にも会って話を聞くと、ブランドの運営が非常に難しいと言っていたのが印象的でした。「これだけ安価な古着が溢れていると、多くの人は古着を選ぶ。ファッションに強いこだわりがある人でないと、自分達のブランドを買う理由がないので、インディペンデントのデザイナーがモノをつくって売ることが難しい」と。ファストファッションの登場でインディペンデントなブランドの運営が難しくなっているのは世界中で起きているし、それなりに見える服でいいと思う人がにとって、いくら素材や生産背景が違っても何倍かの値段がする服を買う理由を見出すことはハードルが高いですよね。
インディペンデントデザイナーたちと。後列中央はファッションレボリューションケニアの創設者アン・マッククレイス氏。元々「マンゴー」でデザイナーとして働いていたが、モノづくりのあり方に疑問を抱き、現在はケニアに住んでいる。後列の眼鏡をかけた男性は「ユイマ ナカザト」の中里唯馬氏。ケニアへはサステナビリティについての共同リサーチを行なっているファッションブランド「ユイマ ナカザト」のチームと訪れた。同ブランドはケニアの古着を再生した服づくりに取り組む。「セイコーエプソンが開発した水を使わずに紙を再生する技術『ドライファイバーテクノロジー』の服への応用を実験的に行っています」と鎌田氏。
彼らのつくる服を見せてもらいましたが、アフリカのカルチャーから生まれた感性でデザインされた服はセンスがよくて格好いいし、面白いと思いました。それと同時に、価格差によってファストファッションが破壊したことについても改めて考えるきっかけになりました。真摯にモノづくりに向き合っている人たちが八方ふさがりのような状況で、商材がたまたま服だったという大企業の人が稼げる現状を不条理だということをケニアでも強く感じました。
——現地の縫製工場や手仕事の現場も訪れたそうですね。
とくに大きな影響を受けているのは大手の縫製工場でした。もともと国内アパレルを手がけていたけれど、いまは制服を縫っています。商業的なものから軍隊の制服まで。社長は「制服に変えたから生き残れた」と意気揚々でしたが、ケニア製の服が少なくなっていることを目の当たりにして複雑な気持ちになりました。
手工芸はもともと規模が大きかったわけではないので、例えば、かごはクラフト文脈での需要があり、つくり続けられています。本当に安く売られているので付加価値を付けて売ることができると思いました。
ナイロビの物価は日本と同じくらいで、例えば普通のホテルでも1泊3万円程度。ランチは1500円くらいするので日本よりも高いくらいでしたが、貧富の差があり、同じエリア内に貧しい人も住んでいます。かごは遊牧生活しているマサイをはじめ部族の人が現金収入が必要なときときに編んでナイロビで売っている様子で、ナイロビの物価上昇にスピードに比べて安過ぎるという印象でした。そもそも生活形態が違う人がつくって売っているからでしょうか。また、ケニアは昔から家畜を飼って肉を食べる文化があり、なめし技術なども続いている。その技術を活用して、湖で採ってマクドナルドなどに販売している淡水魚の皮はこれまで捨てられていましたが、その皮を活用する取り組みが始まっているなど、新しい技術を探求している手工芸分野は新しい可能性を狙っていて面白かったですね。まだ生きていると感じました。
——対策はないのでしょうか。
産業省の人も国内産業を守りたいので輸入規制を試みてはいるようですが、2つ障壁があるようです。まず、古着を生業としている人が200万人くらいいて、国内からの反対があること。今日明日どう生きるかという状態の方も多いので、影響が大きいからです。もう1つは外圧です。2016~19年頃、東アフリカ共同体で、衣服の輸入を禁止するという法律を作ろうという動きがあったのですが、アメリカが、「自由貿易協定に反する」として関税の特例をなくすと言ったことでなくなった背景があるそうです。関税が上がると困るので、輸入し続けているそうです。
——今回の訪問を経て、何か変化はありましたか?
大きくは変わっていませんが、いろいろな情報の解像度が上がり、改めて複雑な問題だと感じました。私自身が感じているファッションに関わる面白さは、いろんな人のクリエイティビティが発揮されることにあります。デザイナーが生み出したアイデアを、さまざまな人たちが工夫をしながら形にして、購入した人は自分が着たいように着て、壊れたら修理する。それぞれが自由に楽しんでいるから面白いし、みんなが楽しめるような仕組みとはどういうものかを考えています。お直しする人々も生き生きしていたし、若者のパッションに触れてわくわくしたけど、それをいい形で育てていくには難しい状況にあることを残念に思いました。
今回心に残ったことの一つに、手工芸に携わる人々は楽しそうだったけれど、制服を縫っている人々が生き生きしていなかったことがありました。以前、カンボジアを訪れたときに(崩落事故が起こった)ラナ・プラザの縫製工場で働いた経験があってその後「ピープルツリー」の服を縫っている方に話を伺ったときに「ラナ・プラザではひたすら襟を縫っていて機械の一部のようだったけれど、いまは一枚の服を自分で仕上げることができることが嬉しい。着る人のことに思いをはせることができるから縫うことが楽しい」と話していたことを思い出しました。こういう気持ちが抜け落ちたモノづくりの果てにこのごみ山があると思うと、最初から最後までいいことがないけれど、これを人類は続けていくのか?とも感じました。
ケニアの埋め立て地で落ちているごみを見ると珍しいものはありません。私たちが使っているものとほぼ同じ生活ごみです。日本にいると所定の場所にごみを出せば、誰かが回収して仕分けしたり洗った後にリサイクルしたり、燃やしたごみの灰を埋め立て地に持っていってくれるので、自分が手放したごみについて無関心になりがちです。ケニアで見た埋め立て地の光景は、ごみが可視化されていて、消費を促すいまの産業構造では先はないと実感させられるものでした。モノを生み出す人はごみの現場を見たほうがいいと思います。
——今回の訪問を踏まえて、私たち生活者が日々できることは何だと考えましたか?
本当にほしいものだけを買うことを徹底すること。意外と難しいんです。本当にほしいものを買う=ミニマリストではありませんし、自分にとって必要な量を見極めるのも難しい。買う基準の一つに、手放し方まで面倒をみられるかどうかはあります。人は飽きるし、手放すときはやってきます。でもいま、捨て方がすぐにわからないものも多いですよね。それを調べてちゃんと手放すくらい愛着が持てるかどうかは一つの基準になります。そして服はきれいに着ること。きれいに扱われていたら、飽きたときに友人にあげたり、売ったりしたりするときも魅力的なままですよね。また、自分が好きなブランドがサステナビリティをうたってないとしたら、そうしたブランドにサステナビリティについてどう考えているかを聞くのもインパクト大きいですよ。
いまのところ回収ボックスは解決策にはなっておらず、むしろ古着を押し付けられた国で新たな課題になっていることが今回の鎌田氏の現地取材で明らかになった。企業は回収ボックスの設置自体はよいが、回収後の行先とそこで起こる課題を認識せずに回収業者に任せきりでは問題だ。生活者が服を手放すところまでを想像し、モノづくりに責任を持つ必要がある。そして、回収ボックスを“救い”と感じて、服を託していた生活者は多いのではないか。手放した服の多くは二次流通では価値がなかったり、友人に託すほどでもない服だったり、着倒してくたくたになっている場合を除き、そもそも必要だった服だったかを考えてみてほしい。服(だけでなくモノ)を買うときは、本当に必要かどうかを見極め、修理しながら丁寧に着用すること。もっとも重要なのは長寿命化で、必要なくなったときはごみにしない道を模索したい。再利用できる方法を調べて適切に手放すことが大切だ。
そもそも日本のごみの最終処分場が残り23.5年でなくなるという現実もある(環境省が発表:一般廃棄物の排出及び処理状況等(令和3年度)について | 報道発表資料 | 環境省 (env.go.jp))。これまでと同じ消費行動をしていては、地球環境もごみ処理場ももたないのは明らかだ。ごみを減らすことを心がけるとさまざまな変化が起こり、行動変容につながるだろう。ごみももともとは地球の貴重な資源を使ってつくられたものであることを忘れてはならない。
写真提供/鎌田安里紗 執筆/廣田悠子 編集/後藤未央(ELEMINIST編集部)
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