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コンセプト性の高いストリートアートの原型といわれる「グラフィティアート」。個人や集団のマークを表す「タグ」を始め、主に文字をベースに描かれており、一般的には難解な作品が多いとされる。落書きからはじまったグラフィティアートが、商業的な機会を得るまでの長い歴史、役割と意義を紹介する。
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英語で「落書き」という意味を持つ「グラフィティ」(graffiti)は、MC、DJ、ブレイクダンスと並んでヒップホップの4要素のひとつとしても知られ、ストリートカルチャーを代表するキーワードだ。
スプレーやペンなどを用いて、電車の車両や高架下の壁など、公共の場に描かれた文字や絵のことを指し、芸術として認識される場合に「グラフィティアート」と呼ぶ。グラフィティアートは、単にデザインや記号としての文字やイラストだけでなく、社会的な問題や政治的なメッセージが込められていることが特徴だ。
店舗のシャッターや壁など、所有者の許可を得ることなく描くことは、もちろん犯罪行為であり、器物損壊の罪に問われることもある。ただし、一部のグラフィティアートは、芸術作品として認められており、公共の場所に描かれることが許可されている場合もある。
Photo by Jimmy Ofisia on unsplash
1920年代から30年代にかけて、ニューヨークでギャングたちが電車の車体や壁に文字の落書き(グラフィティ)を描いていた。この頃のグラフィティは違法とされることがほとんどで、犯罪や非行、権威への反抗につながっているものであった。
落書きが「アート」に変化し始めたのは、1960年代。アメリカ・ニューヨークのフィラデルフィアで、「CORNBREAD」と「COOL EARL」という人物が、街なかに名前を書き始めたことが始まりという説がある。
1970年代になると、ニューヨークのハーレムやブロンクスなどで、ヒップホップ文化と関連してグラフィティアートが発展。ニューヨークで最初のグラフィティ・ライターとして名を残しているTAKI183や、Julio204などが現れる。
文字を中心に書くことから始まったグラフィティアートだが、80年代は、文字だけでなく、イラストや漫画のキャラクターが登場するようになり、ストリートで活動していたキース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアなどが、のちにポップアートの巨匠と呼ばれるアンディ・ウォーホルのようなメインストリームのアーティストと同じく注目を浴びるようになっていった。
2000年代以降も、グラフィティアートはファッションやデザインなどの分野に影響を与え続けている。
グラフィティアートが注目を浴びる社会背景には、芸術としての価値が認められるようになったこと、社会問題や政治的なメッセージが込められていることなどがある。美術館やギャラリーに展示されるアートではなく、誰でも自由に見ることができるパブリックアートであることも、注目を浴びる要因だろう。
正体不明のアーティスト、バンクシーのように、一部のグラフィティアートは、公共の場所に描かれることが容認されるようになってきたが、グラフィティアートと落書きとの境界や、公共物への損壊や景観への影響、所有権の問題については、たびたび議論がなされている。
Photo by Chalo Gallardo on unsplash
建物や道路などの公共物を、アート作品で芸術的に飾ることで、都市の美化や活性化に貢献したり、街の景観や空間を彩り、人々に楽しみや驚きを与えることができる。他の芸術形式と同じく、経済的な価値も持つ。
社会的な問題や政治的なメッセージを訴えることができるのも、グラフィティアートの特徴だ。例えば、麻薬の蔓延やエイズの危機、ジェンダーの不平等などをテーマにした作品もある。
若者たちが、自分の名前やメッセージを公共空間に残し、アイデンティティーや文化を視覚的に表現することで、芸術的キャリアへの出発点になることもあるという。(※1)
グラフィティアートは、社会的な問題や歴史的な出来事などを反映することで、都市の記憶や物語を創造することができる。例えば、東西ドイツの対立や冷戦の状況を反映したベルリンの壁に描かれた作品のように、異なる文化や価値観を紹介し、交流や理解を促進することができる。
韓国のソウル市内、路上美術館としても知られる壁画アートスポット『梨花洞』は、歴史や伝統を保存し、次世代に伝えている。
自由な表現形式で、個人の感性や想像力を発揮することができるグラフィティアートが描かれる場所は、同時に他のアーティストや観客がコミュニケーションできる文化的な場でもある。
グラフィティアートは、抑圧された人々の声を表現する手段として用いられることがある。例えば、アパルトヘイト時代の南アフリカや、ベルリンの壁などで、グラフィティアートが政治的なメッセージを伝える役割を果たした。
バスキアは、社会の不平等さや人種差別を抽象的に批判し、バンクシーは、戦争や貧困、環境問題などに対する批判、風刺が見られる作品を生んでいる。
グラフィティアートの街としても有名なコロンビアのボゴタでは、警察による暴力や不正に対する抗議の表現としてグラフィティアートが用いられ、政治的な権力や権威に対抗した。
本名や年齢を明かさない覆面のストリート・アーティストとして世界中で話題になったバンクシーは、イギリスを拠点とする匿名のストリートアーティスト、政治活動家、映画監督。
図形や文字の形をくりぬいた型板(型紙)の上から、スプレーなどで塗装を施して、壁面などに絵を描くステンシルの技法と、猿やネズミをモチーフにした皮肉な作品は、世界各地のストリートや壁、都市の橋梁などに残されている。
キース・ヘリングは、1980年代に活躍したアメリカの画家で、ストリートアートの先駆者として知られている。単純化したイメージを記号的に組み合わせたビジュアル言語を用いて、国境や言語にとらわれない作品を制作。ファッションアイテムとコラボした作品がよく知られている。
彼は「ART IS FOR EVERYBODY.(芸術はみんなのためのものだ)」という名言を残し、自身がデザインしたさまざまな作品をリーズナブルな価格で販売する『ポップショップ』を1986年、マンハッタンに創設。グラフィティアートが、広く一般に認知されるようになった。
山梨県にある彼の功績を称える「中村キース・ヘリング美術館」(※2) には、現在も世界中からファンが訪れている。
1980年代に活躍したニューヨーク・ブルックリン出身のアーティスト。
一見子どもの落書きのように見える作風で、人種差別に関する文言や、聖書の言葉を引用した社会批判、アイデンティティーにまつわる政治的なメッセージを込めた作品を残した。
鮮やかな色彩、黒人や頭蓋骨のモチーフ、挑発的二分法(suggestive dichotomies)による社会批判的な作品が特徴(※3) 。27歳で亡くなった後も、20世紀を代表する現代アーティストとして高い評価を得ている。
Photo by Jennifer Griffin on unsplash
世界各地には、あちこちにグラフィティスポットがあり、現在も多種多様な表現が生まれ続けている。アーティスト同士の尊敬や競争により、落書きはアートとして認められるようになり、莫大な富を生む作品も少なくない。
グラフィティに上書きは許されない。もし上書きをするのならば、より優れたアートを生み出さなければならないというルールが存在する。
アーティストたちは独自の表現を追求し、グラフィティ文化をポップカルチャーやストリートアートに発展させていることから、芸術として尊重されるべきであるという意見もあるが、さて、あなたはどう考えるだろうか。
※1 カリフォルニア大学サンタクルーズ校|壁に書く:グラフィティとストリートアートの文化的価値を探る
※2 中村キース・へリング美術館
※3 NEW ART STYLE|バスキアの作品を厳選して紹介!作品の特徴3つと重要作品4点を解説
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