モデルマイノリティとは 背景にあるアジア人への差別と問題点

縁石に腰かけるアジア人女性

モデルマイノリティという言葉は、アメリカ社会で暮らす、主に東アジア系マイノリティに対して使われている。この言葉の裏に隠された、アジア人への根強い人種差別問題について学んでいこう。意味や使われる場面、アジア人への偏見についてもまとめる。

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2021.10.29

モデルマイノリティとは

モデルマイノリティとは、マイノリティでありながら、社会的に平均よりも成功しているグループを指す言葉だ。

マイノリティと言えば、「マジョリティが実権を握る社会において、不当な扱いを受けやすい」というイメージを抱く人も多いのではないだろうか。モデルマイノリティは、数多くのマイノリティのなかでも、「規範」として扱われやすい。モデルマイノリティの特徴には、以下のようなものがある。

・高学歴
・勤勉
・低犯罪率
・社会的地位のある仕事
・安定した収入

「人種のサラダボウル」とも言われるアメリカには、数多くのマイノリティが暮らしている。そのなかでも、東アジア系アメリカ人やユダヤ系アメリカ人を、モデルマイノリティと表現するケースが多い。

モデルマイノリティという言葉を提唱したのは、ウィリアム・ピーターセンという人物である。彼はアメリカの社会学者で、1966年に発表した記事において、この言葉を使った。

もともとは、第二次世界大戦中の抑留にもかかわらず、その後成功を収めた日本人コミュニティについて紹介する記事で、「モデルマイノリティはその他のマイノリティにとって見習うべき存在」というメッセージを伝えていた。

その後1970年代ごろから、モデルマイノリティという言葉は、一般にも広く浸透していった。

「モデルマイノリティ」が使われる場面

「モデルマイノリティ」という言葉が使われる場面は、さまざまである。もともとは、東アジア系(とくに日本人)を意味して使われる機会が多かったモデルマイノリティ。「日本人だから(モデルマイノリティだから)○○に優れている」「東アジア系なのに(モデルマイノリティなのに)△△ができないなんて…」といったシチュエーションで使われるケースが多く見られる。

「モデルマイノリティ」という言葉に悪意はなくとも、その意味の裏にはステレオタイプが隠されている。この「東アジア系なのに」というモデルマイノリティ神話に囚われ、生きづらさを感じている人も多いのが現実である。

またアメリカで暮らすマイノリティグループは、アジア系だけではない。マイノリティを取り巻く現実は厳しく、成功するのは容易ではないと言えるだろう。彼らに対して、「成功できないのはモデルマイノリティのような努力が足りていないから」と、あざける意味でも使われている。

アメリカ社会でアジア人が持たれるイメージ

アメリカにおいて、アジア人は以下のようなイメージを抱かれがちだ。

・勤勉
・真面目
・努力家

これらは、モデルマイノリティに不随するような、比較的ポジティブなイメージと言えるだろう。一方で、以下のようなネガティブなステレオタイプも根強く残っている。

・カンフー
・マフィア
・従順で無口、エキゾチックな性的対象

このようなステレオタイプには、ハリウッド映画でのアジア人の描き方にも原因があったと考えられている。

アメリカ社会の背景にあるアジア人差別

アメリカで過ごすアジア人は、これまで決して簡単ではない道のりを歩んできた。その歴史は、その他のマイノリティと同様に、苦難の連続であったと言えるだろう。

中国から多くの移民がアメリカに渡った19世紀後半には、中国系移民を排除するための法律が多数制定された。中国人排斥法はその一つである。また第二次世界大戦が勃発すると、アメリカ国内の日系アメリカ人たちを強制収容所に連行。彼らは財産を没収され、その自由は制限された。

第二次世界大戦以降も、朝鮮戦争やベトナム戦争など、アジアを舞台にした戦争は続いた。そのたびに、アメリカ国内で暮らすアジア系移民は、差別の対象となったのだ。アメリカ人にとって、「アジアのどの国出身か?」というのは、大した問題ではない。中国人も韓国人も日本人も、すべてが同一視され、差別の対象となった。

アメリカにおけるマイノリティに対する差別は、非常に根深い。近年、新型コロナウイルスのまん延による、アジア系へのヘイトクライムが話題となった。アメリカ社会のなかにくすぶる、アジア系に対する差別や不満が、「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への不安」という形で噴き出したと考えられる。

人種差別とマイノリティの思い

人種差別と言えば、「黒人差別」を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。しかし実際には、社会に根深く残る差別はそれだけではない。

「モデルマイノリティ」という言葉は、アジア系を差別するためにつくられたわけではないだろう。しかし、こうした言葉が生まれたこと自体が、アメリカ社会とマイノリティ社会の間の大きな溝を表現している。「アメリカ社会に不都合を与えない、マイノリティグループのお手本」という考え方は、「マイノリティは所詮マイノリティ」というイメージにつながっていく。

また、アジア系が「モデルマイノリティ」と評されたことで、その他のマイノリティとの間に溝をつくったとも言われている。「苦しい状況においても、自身の努力と勤勉さで成功したモデルマイノリティ」という考え方のもとでは、「成功できないマイノリティには、努力や勤勉さが足りていない」という新たな差別が生まれがちだ。アジア系以外のマイノリティからも、厳しい視線が向けられるという現実がある。

さらに、「モデルマイノリティ」というステレオタイプに、いまなお苦しめられている人も多い。東アジア系だからといって、すべての人が勤勉で成功できるわけではない。それを「モデルマイノリティなのに…」という目線で見られれば、「自己」を否定された気分になるだろう。格差問題が見過ごされたまま、解決されないという弊害もある。

自分らしさを追求するために

いまなお差別を受けている人々が訴えたいのは、「ステレオタイプに囚われず、本来の自分を認めてほしい」ということである。生命や自由を脅かされる恐れがなく、自分らしい形で幸福な生活を追求したい。同じ社会に生きる人間として、対等でありたい。こうして考えてみれば、どれもごく当たり前の願いだと言えるだろう。

人種差別問題は、誰にとっても他人事ではない。どのような問題が隠されているのか、いま一度目を向けてみよう。

※掲載している情報は、2021年10月29日時点のものです。

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