環境問題を掘り下げると目にするようになる「ディープエコロジー」というワード。どのような考え方で、いつどんなきっかけで生まれたのだろうか。また、それ以前の環境思想とはなにが違うのか。特徴はなにか?問題点はなにかまで、網羅的に記述する。
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ディープエコロジーとは、一般財団法人環境イノベーション情報機構の環境用語集によれば「人間の利益のためではなく、生命の固有価値が存在すると考えるゆえに、環境の保護を支持する思想」とある。
そもそも、ディープエコロジー(Deep Ecology)を初めて世に発信したのは、1972年、国連人間環境会議でノルウェーの哲学者、アルネ・ネスの講演だとされている。ネス氏によると、エコロジー運動には、浅いもの(シャローエコロジー)と深いもの(ディープエコロジー)があり、後者が重要だと唱えた。
ネス氏は、こんにちの環境問題の原因は人間の営み、社会にあるとし、人間と同等の価値を持つすべての生命の価値や存在を人間が勝手に脅かしてはならないと考えた。
そのため、環境問題の対策も、社会構造そのものの変革によって図るべきであり、個人の、社会や自然に対する意識の変革「制度の改革ではなく内面性の改革という長期的視野」が必要だとした。
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この言葉が生まれた、1970年代は環境問題の主体は、公害の反対運動など産業面へのアプローチだったため、生活者個人の生き方にまで目を向けることはあまりなかった。つまり、対症療法的な環境問題であり、それでは問題の根治は難しいという発想から生まれたのが、ディープエコロジーというわけだ。
ネス氏の提言からもわかるように、環境保護は究極的には個人の自覚と覚醒が重要であるとしている。その後、知的レベルの高い中産階級などを中心に、この考え方が徐々に広まった。
1990年代に入ると、地球温暖化などが世界規模で注目されるようになり、1992年には、「環境と開発に関する国連会議(地球サミット)」で、地球環境問題が決定的に形成された。持続可能な発展を目指されるようになってて以降、NGOなどの活動を中心に世界中へと広まっていった。
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「ディープ(深い)エコロジー」と「シャロー(浅い)エコロジー」。これらには、どんな違いがあり、どんな関係性があるのかを見てみよう。
ディープエコロジーでネス氏が提唱した主要な7つの概念を下記にまとめた。
1. 相互関連的・全フィールド
どの存在(生命)も他の存在との関係のなかで成立しているという考え方
2. 原則としての生命権平等主義
我々人間は、他の生命と関わることで深い喜びや満足を得られるという、人間の本質に根差した考え。
3. 多様性と共生の原理
多様性を尊重することで生命の豊かさが増大する。生存競争もその一部で、殺戮や開発を積極的に行わず、生命の複雑な関係性を大切にしながら生きることをよしとする。
4. 反階級の姿勢
多様性を重んじ、複雑な関係性を守りながら共生するには、支配や搾取の関係性、つまり階級制が阻害要因になるという考え方。
5. 汚染と資源枯渇に対する戦い
単に、汚染や資源枯渇そのものを問題視するのではなく、解決方法にまで注意を払うことが重要。たとえば、汚染除去の器具を導入するために、高額な代金を支払うことは、器具売買に関わる企業にのみ有益が偏ってしまい、④のような反階級の姿勢と相反してしまうと考える。
6. 混乱ではなく、複雑性の評価
生命圏にある有機体や生命様式などは、高次元での複雑性を示している。人間はその複雑さを有する生命圏に介入するときの影響について、無知であることを深く意識する必要がある。
7. 地方の自立と脱中心化の支持
ある地域の生活が、別の場所への依存度が高ければ高いほど脆弱になると考え、物質的にも精神的にも自給自足を強化する努力が必要であるという考え方。地域が自立することでエネルギー消費が減り、汚染も減っていく。独自の文化も守られる。地産地消は、その考え方に適うものだ。
浅いエコロジー運動(shallow ecology movement)の基本的な考え方は下記の通りだ。
・第一に汚染と資源枯渇に反対する
・その主要目標は、先進諸国に住む人々の健康と繁栄である
先進諸国が享受している生活レベルや体制思想、社会制度などに対しては深い変更を加えないことを前提としている。そのため、解決が表層的かつ局所的にとどまってしまうことも。ある地域での公害問題が解決しても、その汚染物質が生産され続ければ、別の場所で環境破壊は起きてしまうといったように(※1)。
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理想的にも見えるディープエコロジーの問題点はなにかを見ていこう。
まず考えられるのは、ディープエコロジーは具体的な解決策ではなく、思想や哲学の領域であることだろう。学問であるゆえに、純度が高いままこんにちにまでその想いが受け継がれているともいえる。
しかしながら、その反面、政治との接点は非常に限られているという。政治的場面でディープエコロジーが語らえることが少ないことは、普及の大きな足かせになっているようだ。
また、概念の実践者があまり行き過ぎると、実際の生活や社会と折り合わない場面も出てくるだろう。ディープエコロジーは「ロマン主義」や「ユートピア思想」から派生した思想であり、社会の現実から乖離していってしまうリスクをはらんでいるという指摘がそれを表している。
一方で、正統的な哲学というよりは世俗宗教に近い、あるいは、科学的というより神秘的学問に親和するといった批判もあるようだ(※2)。
それでもなお、ディープエコロジーはいま起きている地球規模の環境問題に与えるインパクトは小さくない。
日本人は自然と共生してきた歴史が長く、実践へのハードルも他の先進国に比べると低いのではないだろうか。ディープエコロジーは直感的な部分が求められる思想でもあるため、アドバンテージと好意的に受けとめたいところ。
一人ひとりが、社会の、そして生命圏の一員であることを改めて意識し、行動することで、持続可能な社会へのパラダイムシフトも可能になっていくのではないだろうか。
※1 ディープ・エコロジーと自然観の変革|小原秀雄監修『環境思想の系譜・3』東海大学出版会(1995年5月)106-116頁
http://www.lifestudies.org/jp/deep01.htm
※2 ディープエコロジーの環境哲学―その意義と限界|伊藤俊太郎編「講座 文明と環境 14・環境倫理と環境教育」
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/deepeco.html
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