生態系の未来、鍵を握るのは日本? モーリシャス油流出事故から考える「自分ごと」としての生物多様性

7月にインド洋の島国・モーリシャス沖で重油約1000tが流出し、周囲の自然環境に深刻な影響を与えているニュースが世界を駆け巡った。今回の事故の問題点や打開するすべを含め、生物多様性の専門家の視点から、琉球大学の久保田康裕教授に丁寧にわかりやすく語っていただいた

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2020.10.05
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7月26日にインド洋の島国・モーリシャス沖で、商船三井が運行する貨物船「わかしお」が座礁。8月に入ると船から重油約1000tが流出し、周囲の自然環境に深刻な影響を与えているニュースが世界を駆け巡った。

森林保護や生物多様性の調査研究の第一人者で、琉球大学理学部海洋自然科学科教授/株式会社シンクネイチャー代表の久保田康裕教授は、今回の事故に対しても早くから情報を発信している。

今回の事故がなぜ注目されているのか。問題点や打開する方法を含め、生物多様性の専門家の視点から、丁寧にわかりやすく語っていただいた。

「一番起きてはいけない場所で事故が起きてしまった」 計り知れない被害の大きさ

モーリシャスの海

Photo by Xavier Coiffic on Unsplash

――モーリシャス沖で起きたタンカー事故の一報を聞いて、なにを考えましたか?

久保田:私が研究している「生物多様性」の観点から言えば、いま「一番起きてはいけない場所で事故が起きてしまった」というのが最初に浮かんだ思いでした。

というのも、今年3月に、世界中の珊瑚礁の生物多様性ホットスポット(以下、ホットスポット)に関する論文を発表し、モーリシャスも含むマダガスカル周辺の重要性を説いたばかりでしたから。

いままで考えていたよりもずっと、生物多様性において重要な地域だということが、我々の研究でわかったところだったのですごく心配になりましたね。

――珊瑚礁というと豪州グレートバリアリーフなどを連想しますが、モーリシャスを含むマダガスカル沖は、海の生物多様性において重要な場所なのですか?

久保田:これまで多くの研究者が珊瑚礁に関しては東南アジアを中心とした「コーラルトライアングル*」と呼ばれるエリアを、ホットスポットとして注目してきました。

*インドネシア、マレーシア、パプア・ニューギニア、フィリピン、ソロモン諸島、東ティモールの6ヶ国にまたがる三角形の珊瑚礁海域。珊瑚礁全体の約30%、約3,000種以上もの魚類が生息する。

ですが、このたびの研究によって、マダガスカル周辺の珊瑚礁も「コーラルトライアングル」に匹敵する、もしかするとそれ以上の可能性があるということがわかってきたのです。

珊瑚礁の写真

Photo by Olga Tsai on Unsplash

――なぜ、いままでその重要性が知られなかったのでしょう?

久保田:それは、生物多様性の研究の難しさに起因します。珊瑚礁の生物多様性を調査、研究するには、海に潜って調査する必要があります。広大な海をまんべんなく調べることは難しく、労力も時間もすごくかかる。

そのため、マダガスカル周辺の海域はこれまで十分に調査されておらず、その重要性が過小評価されてきました。さらに調査が進めば、未知の新種が発見されていたかもしれませんから、今回の事故の被害は計り知れません。

――事故後の経緯については、どう見ておられますか?

久保田:フランス政府は、事故後にすぐ対応しており、うまくコミュニケーションしているなと思いました。アピールがうまいですよね。

日本は、コロナの影響もあり初動が遅かったという印象を与えたかもしれません。ですが、その後はJICA(独立行政法人国際協力機構)を中心に環境省の関係者や研究者も派遣され、現地調査もしています。マングローブ林での重油のふき取りは非常に大切なことなのですが、現在はそれを重点的にやっていると聞いています。

局所的だがクリティカル 重油流出の甚大な破壊力

マングローブの写真

Photo by Timothy K on Unsplash

――マングローブ林での重油ふき取りの重要性について、もう少し詳しく教えいただけますか?

久保田:みなさんもご存じかと思いますが、マングローブは、海水と真水のはざまに生息し、潮の満ち引きに影響を受けます。そのため、複雑で独特の形状をした根を広範囲に張ります。

根は養分を吸収したり、呼吸したりする役目もあるので、そこに油が付着すると最悪、植物は枯死してしまいます。これまでの重油流出事故で、マングローブ林が枯れてしまうと復元するまでに少なくとも30年はかかるというデータがあります。

マングローブ林は、カニやエビ、魚などさまざまな生きものの棲み処にもなっていますので、それがなくなるということは、多くの生きものが棲み処を失うことにもなる。つまり、そのエリアの生物多様性を失うことにもつながるのです。

――ほかにもさまざまな損失が考えられますか?

久保田:モーリシャスは生物多様性も含め、自然資本を基盤に経済が成り立っている地域だと思います。豊かな珊瑚礁やマングローブ林は、観光資源としても重要です。

また、珊瑚礁から得られる漁業も大切な産業ですが、汚染されたことで魚が獲れなくなったり、商品価値が下がったりしてしまうかもしれない。生活や経済の基盤に受けたダメージが、地域社会の経済に直接的に影響するのではないかと心配しています。

一部報道で、これまでの事故より流出した重油の量が少ないから影響も少ないのではないかと報じられていますが、私はそうは思いません。量に関わらず被害は局所的に起き、その局所では甚大な被害が起きるものなのです。

まだ、調査が終わっていないため事故の全貌が明らかになっていませんが、過去の重油流出事故から推測すると、一般の方が考えている以上に事故の影響は長期的なものになるのではないかと案じています。

生物多様性の保護・回復に重要な「モニタリング」

サンゴ礁の生物多様性モニタリング:サンゴ礁に調査区画の枠を設置して、そのなに分布しているサンゴの種や種ごとの面積を記録す

サンゴ礁の生物多様性モニタリング:サンゴ礁に調査区画の枠を設置して、そのなかに分布しているサンゴの種や種ごとの面積を記録する。提供:久保田康裕

――さまざまな命がかかわりながら、豊かな生態系が育まれているのですね?

久保田:はい、そうです。今回は海の事故ですが、海と陸はつながっていますよね。モーリシャス沖に広がる珊瑚礁は、海の生態系の基盤。陸の生態系の基盤は森林です。

いろんな生命の棲み処である基盤が、どういう状態かを知るための調査を「モニタリング」といいます。

私たちは長年国内外で森林などのモニタリングを続けており、地球温暖化によって森がどう変化しているのかや、森の多様性の変化を知ることができます。こういった基盤になるデータを「ベースラインデータ」と呼んでいます。

森林が二酸化炭素をどれだけ吸収するかも調べているので「温暖化を緩和するために森を守ろう」、「植樹しよう」という話が出たとき、どこにどんな森を再生すればいいか予測も立てられる。

モーリシャスの事故も「ベースラインデータ」がなければ、いざ珊瑚礁などを復元、回復させる話になってもどうしたらいいかわかりません。モニタリングの基礎情報は非常に重要なのです。

――モニタリングは他に、どんな役目を果たしていますか?

久保田:世界的にもそうですし、日本も同様ですが、保護区や国立公園に指定することで自然を保護しようとするアクションがよく取られます。

ただ日本では、モニタリングがされる以前は、適当……とまでは言わないまでも、風光明媚だからという景観上の理由や経験的に保護区の範囲が決められてきました。

ところが、実際に調査するようになると、保護区外に貴重な種が生息していたりすることがわかってきた。これを「保護区のギャップ」または、「保護区のずれ」と呼びます。

これからは、モニタリングによって得られたデータ、科学的エビデンスにのっとって区域の修正をすることができます。

また、日本はまだまだ保護区そのものが小さいので、我々はもっと増やそうという提案も行っています。

森林の永久調査区のモニタリングの様子。数十年のわたって樹木一つ一つの成長量を測定して、森の多様性の長期的な変化を把握する

森林の永久調査区のモニタリングの様子。数十年にわたって樹木ひとつひとつの成長量を測定して、森の多様性の長期的な変化を把握する。提供:久保田康裕

この日本で生態系の未来が試されている

――なるほど。ところで、近年よく見聞きする「生物多様性ホットスポット」とは、そもそも何を指し、なぜ重要視されているのですか?

久保田:大きく分けて、ホットスポットの定義は2つあります。

1つは、生態学的な観点からの定義で、生きものの種類が豊富で、なおかつそこにしかいない固有種が多いところ。

ですが、ひとくちに生物層が豊かといっても、植物や動物、微生物など生きものにもいろいろいますよね。地球上には870万種存在するともいわれますが、その種がどこにいるか網羅的にわかっていないのが現実です。

ですから、植物と哺乳類や鳥類、爬虫類といった脊椎動物など、ある程度どこに何が生息しているか把握できている生きものの分布で判断することが一般的です。モーリシャスを含むマダガスカルおよびインド洋も、ホットスポットの1つです。

2つ目は保全する観点からで、種類が多く、固有種も多いといった基礎科学的に重要なところに加えて「人間活動によって存続が危ぶまれている地域」であることも定義に含まれます。

日本人はあまり認識していませんが、日本は非常に重要なホットスポットです。島国で生物の種類が多く、ユニークな固有種も豊富です。

日本には、約5,000〜6,000種の植物がいて、実にその30〜40パーセントが日本にしかいない固有種です。3つに1つの確率で固有種というのは、非常に珍しいことです。

日本の動植物の種数と固有種数の割合

データ提供:久保田教授、編集部でグラフに加工

――世界的に見ても、日本は特異な自然環境なのですね?

久保田:はい、その通りです。しかも、日本は先進国で、経済活動が非常に活発です。同じ先進国のあるヨーロッパや北米の国々と比べると、日本は国のほぼ全域が「生物多様性ホットスポット」なのですから、それだけでも特別ですよね。

北海道の大学で学んでいた私が、縁あって沖縄の「やんばる」と呼ばれる森に棲む生きものの保全に関する研究に携わることになって、20年ほどになります。

沖縄だけを見ても、珊瑚礁ややんばるの森など、多様な生きものがせめぎ合って生きている。特徴的でユニーク、かけがえがないものだなと日々感じています。

いまを生きる人類にとって、大切な生態系を守れるかどうかを試されているような国だなと感じます。

――試されているとはどういう意味ですか?

久保田:いま世界は、生物絶滅の危機に直面しています。870万種のうち100万種が絶滅するのではないかという試算もあり、どうにかしなければというのが我々研究者の合意です。

これまでにも何度か地球上で大量絶滅はありましたが、それは地球の環境の変動に起因していて、何万年というゆるやかなスケールで起きていました。でも、いま直面する危機は、比べようがないくらい桁違いのスピードで進んでいます。

その原因は、人間の生産活動であり、そこがこれまでの絶滅と明らかに違う点です。大量の森林伐採や食糧生産、漁業など、社会経済活動で危機に瀕している。私たちがどうアクションを起こすかが問われている時代なのです。

毎日の食事がまさに生物多様性の恩恵

――では、私たちはまず何をしたらいいでしょう?

久保田:身近に起こせるアクションはいろいろとあると思いますが、その前に生物多様性や絶滅の危機に対して、科学的な知見に興味を持つことが重要かなと思います。

科学的知見は、実効性があるかどうかを見極める助けになると思います。せっかく行動に移すなら、効き目があるほうがいいですよね。

大型書店などに、生物多様性の保全に関する書籍は結構置いてあると思いますし、私たちが運営するシンクネイチャーでは、モーリシャスの事故をはじめ、生物多様性に関してわかりやすく発信しているnoteもあります。参考にしていただけたら嬉しいですね。

ところで冒頭に、「フランスは初動が早かった」と話しましたが、それは政治家も含めて国民の生物多様性への関心が高いからだと思います。欧米の政府は、生物多様性に関する問題意識が高い世論の上に成り立っているので、政府としても速やかにアクションを取ることができるのでしょう。

もし仮に日本政府の初動が遅かったのなら、それは私たちの生物多様性への関心が欧米ほどは高くないという裏返しなのかもしれません。

――耳が痛い話ですね。関心や興味を深めるためにも、身近なきっかけがあるといいのですが……。

久保田:毎日食べている「食事」に注目してみてはどうでしょう。海外の知人からはよく、「日本人は毎食違うものを食べるね」と驚かれます。当たり前すぎて気づかないかもしれませんが、日本人はきっと世界でもっとも多様な生きものを食べていますよ。

自分が食べた野菜や魚などの品種や種、さまざまな食材のもとになっている生きものをリストにして可視化することで、本当にたくさんの多様な生きもののお世話になっていることが実感できると思います。

もしこの先、生きものが絶滅し、生物多様性が失われてしまったら、食の多様性も損なわれることになります。すごく味気ない暮らしになるし、私たちの文化の多様性がなくなってしまう。

知ることによって、いろんなことが関連付けて考えられるようになり、「自分ごと」としてとらえれるようになるのではないでしょうか。

取材・文/キツカワユウコ、編集/山田勇真(ELEMINIST編集部)

久保田康裕
琉球大学理学部海洋自然科学科教授/株式会社シンクネイチャー代表
HP:https://kubota-yasuhiro.weebly.com/
note:https://note.com/thinknature
株式会社シンクネイチャー:https://thinknature-japan.com/

※掲載している情報は、2020年10月5日時点のものです。

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