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「グリーンベルト」には、交通安全対策や環境保全など、目的が異なる4つの種類がある。都市計画におけるグリーンベルトとは何か、イギリスやドイツなど海外の事例を挙げながら解説。さらに日本を代表する「東京緑地計画」を取り上げ、構想、目的、問題点、現状について紹介する。
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グリーンベルトとは、文字通り「みどり」の帯のこと。それぞれの分野でグリーンベルトが指すものや目的は異なる。
歩道と車道が区別されていない道路で、緑色に塗装された路側帯(車は通行できないが、歩行者が通行できる範囲)を「グリーンベルト」と言う。ドライバーが車道と路側帯を、視覚的に区別できるようにし、交通事故防止を図る目的で設けられている。
大都市の無秩序な拡大を防止するため、「グリーンベルト」と呼ばれる緑地が都市計画行政に取り入れられた。日本では、戦後の農地改革の中で緑地は縮小したが、現在の東京都区部に残る大きな公園や河川沿いの公園は、グリーンベルトの成果だ。
海の環境を守るための「グリーンベルト」とは、土砂が海に流れ出るのを防ぐために、畑の周囲に植えた緑の垣根を指す。沖縄ではサンゴ礁の保全のために、畑のまわりに月桃やイトバショウなどの植物を植えている。
「砂防」とは、斜面の土砂が崩れるのを防ぎ、土砂災害から守るために行われる工事を指す。そして砂防事業の一環で、「グリーンベルト」と呼ばれる樹林を設け、土砂を抑制するケースがある。
また、農地からの土壌流出を防止するために、農地周辺の水路沿いに緑地帯を設けている場合もある。農地の土量の減少を防ぎ、下流の水質を保全するために行う。
このように、グリーンベルトには4つの目的があるが、本記事では都市計画・緑化計画についての「グリーンベルト」について取り上げる。
グリーンベルトの海外の事例を紹介する。
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都市の緑地計画でもっとも有名な事例は、イギリスのロンドンだろう。
最初にグリーンベルトについて持ち上がったのは、1914年のこと。ロンドン大学の教授が、都市拡張を抑止するため「大ロンドン計画」を作成した。(※1)
その後、1930年代にロンドン郡議会でグリーンベルト構想が持ち上がり、公園の建設のために、議会は周辺の土地の購入を開始した。(※2)
ロンドンのほか、グリーンベルトはマンチェスターやバーミンガムなどの都市でも導入されている。自然を大切にするイギリスでは、グリーンベルト政策は、多くの国民から支持を得ている。
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かつてドイツを東西に隔てていた、1393kmの国境の大部分はグリーンベルトになっている。有刺鉄線が張り巡らされ、地雷が埋め込まれ、「死のベルト」と呼ばれていた場所だ。そこが現在では、絶滅危惧種も含む1,200種もの昆虫や動物、植物のすみかとなっている。
また2100年には、ドイツ国内最大のグリーンベルトと呼ばれるエリアが、ザクセン・アンハルト州で完成。同州では、バルト海沿岸からバイエルン州まで、東西ドイツ時代の国境エリアを含め、総面積約7000ha、距離にして約1400kmがグリーンベルトとなった(※3)。
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次に、日本でのグリーンベルト計画について見てみよう。
東京でも大規模なグリーンベルト構想が以前から、持ち上がっている。
まず1932年に、東京緑地計画協議会が結成され、7年におよぶ調査や立案活動を経て、1939年に「東京緑地計画」が策定された。これは、現在の23区に該当するエリアの外周に、96万2000haのグリーンベルトを設置するというものだった。(※4)
そして戦後、人口や産業の集中と市街地の拡大を背景に、1956年に「首都圏整備法」が制定され、その基本構想として1958年に「第1次首都圏基本計画」が公表された。これは、イギリスの大ロンドン計画を模範に、東京駅から約100km圏を対象にグリーンベルトとする計画だった。
だが建築規制等が伴うため、地域住民からの反対が起きたため、1968年に「第2次首都圏基本計画」が 策定された。
東京緑地計画は、1924年にオランダアムステルダムで開催された国際都市計画の影響を受けている。関東大震災で被災したばかりの東京にとって、都市の復興と市街地の拡大が大きな課題となっており、東京緑地計画は復興の意味合いを含んでいた。
東京緑地計画の環状緑地帯(グリーンベルト)は、紀元2600年記念事業(神武天皇即位紀元2600年を祝った1940年の事業)や防空計画でも位置づけられ、広大な緑地を生み出した。だが、これらの土地は戦後の農地改革で解放され、縮小することとなった。
これに加え、東京における人口の集中はロンドンより急激に起こり、しかも土地利用の直接規制ができないことがネックとなり、グリーンベルトの思想は大きく後退した。
日本では人口や産業の都市集中にともない、市街地が無秩序に拡散していたため、1968年に市街化区域と市街化調整区域の区分を行う都市計画法を制定した。
東京のグリーンベルト構想は実現には至らなかったが、東京緑地計画の一部が、現在でも東京に残っている。たとえば、砧公園(世田谷区)、小金井公園(小金井市)、舎人公園(足立区)、水元公園(葛飾区)などだ。
グリーンベルトは、都市の無秩序な拡大を防ぐためにつくられた緑地エリアだ。都市計画にグリーンベルトを取り入れるという考え方は、都市化の問題を早くから認識してきたヨーロッパではじまった。
東京緑化計画に代表される日本のグリーンベルトは、急増する人口などのため、実現はできなかった。だが、現在の日本でも、各自自治体ごとに緑化や緑地整備が行われている。
緑地を社会の資本としてとらえ、緑を大切にする意識を醸成することが、求められるのではないだろうか。
参考
※1 都市圏の拡大と首都圏の形成|東京都都市整備局
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/keikaku_chousa_singikai/pdf/tokyotoshizukuri/3_01.pdf
※2 The Green Belt : A Place for Londoners? | London First
https://www.londonfirst.co.uk/sites/default/files/documents/2018-05/Green-Belt.pdf
※3 ドイツ、貴重な生息地をつなぐ国内最大の「グリーンベルト」完成|国立環境研究所
https://tenbou.nies.go.jp/news/fnews/detail.php?i=4987
※4 グリーンベルト構想|東京都都市整備局
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/keikaku_chousa_singikai/pdf/tokyotoshizukuri/2_07.pdf
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